テレビで外国の軍隊が整然と行進している様子がしばしば映し出される。何百人、あるいは何千人の兵士が路上を整然と行進し、政府要人の前を通る時は一斉に敬礼などしている。銃の持ち方や足の上げ方が揃っているばかりでなく、視線の方向までが見事に同じである。
あれを行うにはさぞ念入りな練習があっただろうと思われる。実際の路上で練習する訳にはいかないので、どこかでこっそり行うのだろうが、大勢の軍人を一斉に動かす訓練をするのはさぞ大変なことだろう。軍人にすれば、こんなことをするために軍人になったんじゃないという思いがあるに違いない。
軍隊の使命は戦場で戦うことである。そこでは行進などしないはずだ。個々の軍人にはそれぞれの役割が与えられていて、それを果すための血みどろ汗みどろの訓練が日々行われているはずだ。
だから、行進の訓練は役に立たないことをしていることになる。
それでは軍隊の行進にはどんな意味があるのか。
表向きには、自国の軍隊の素晴らしさを国民に誇示することだろう。しかしそれはあくまでも表向きの話である。
言うまでもなく、行進の本質は頭を空っぽにして体だけを動かすことにある。戦場では兵士はただひたすら上官の命令に反射的に従わなければならない。「何も考えない」ことがそこでの重要事項になる。兵士が戦地で考えこむようでは戦争にならない。つまり、そこでは人間ではなく武器であることが求められる。
行進とは自己を捨てる訓練だと言っても過言ではない。
それがいいとか悪いとかの判断は私にはできない。ただある種の悲しみの感情をもって行進を見るだけである。