最近では、テレビを見ていると、それがドラマであれ実写であれ、食事のシーンでは左利きの人が映ることが多いようだ。以前は、右利きの人ばかりを映すと左利きの人の差別になると恐れられたようだが、最近では左利きがかっこいいという考えが強まっているように感じられる。
かつては左利きの子供をむりやり右利きに変えようとして深刻な結果を招くということがあったようだ。もちろん、それは非難されなければならない。
しかし、同時に、右利き・左利きはそれほど先天的な問題か、という疑問が私にはある。
私は典型的な右利きで、中学から大学まで柔道をやっていたのだが、一貫して右技ばかりを練習したので、右肩が左肩よりも一センチ長くなっている(従って、シャツを着ると右手の袖が左よりも一センチ短くなる)。だから左手を少しは器用にしたいという気があって、初めてボウリングをやったとき、左手でボールを投げるようにしたら、なんの抵抗もなく左手でボールを投げることができるようになった。それ以後、当時はボウリング・ブームだったので、何度もボウリングをしたが、右手でボールを投げたことは一度もない。
考えてみれば、楽器を弾くときに右利き・左利きの区別が問題にならないのは不思議なことだ。例えばピアノを例にとれば、左手で主として低音を弾き、右手で主として高音を弾くわけだが、ピアノを弾く人について、右利きか左利きかが話題になることはない。ヴァイオリンについて言えば、誰だって右手で弓を持ち、左手で指板を押さえるのだが、どちらの手が利き手かが問題になることはない。右利きの方が、あるいは左利きの方が有利だという話は聞いたことがない。
ずっと以前に、自分の子供に箸の持ち方を教えるとき、箸の持ち方のメカニズムを知りたくて、まず自分で左手で箸を使う練習をしたことがあったが、すぐに左手で箸を持って食事ができるようになった。あるとき大学の食堂で何気なく左手で食事をしていたら、知っている女子学生がそれを見て、「わあ、先生、左利きなのですね。嬉しい! 私も左利きなんです」と言ったので、それ以後、学食で食べるときはその学生が見ていないか気を使うようになった。
子供に箸の持ち方を教えるときに重要なのは、決して食事の現場でそれをしないことだ。食事とは関係のない時間に食卓とは別の場所で、単なる遊びとして教えること。そして、食事のときは決してそれについてとやかく言わないこと。そうすれば子供は、やがて、それが右手であろうと左手であろうと、普通に箸を使って食事ができるようになるだろう。
では、どうして多くの人が右利きなのか。
以前に坐骨神経痛を患ったとき、左腰や左足ばかりが痛んだ。それがどうしてなのか外科医に質問したところ、「さあ、どうしてでしょうね。確かに、ほとんどの人が左側ばかり痛むんですね。まあ、心臓が左側にあることと何らかの関係があるとは思いますけどね」ということだった。
新宿地下道などの雑踏を歩いていて不思議に思うのは、別に何の指示も出ていないのに、人々が左側を歩いているということだ。反対方向に歩いている人とぶつからないように自然に片側を歩くようになるということは理解できるが、どうしてそれが左側なのか分らない。私は、心臓が左にあるので、すれ違う人からのふいの攻撃から心臓を守るためではないか、と勝手に想像している。
右利きが多い、ということにも、どこかで微妙に心臓の位置が関係しているのではないか、という気がしないでもない。
脳には右脳・左脳という区別があって、それぞれが別の機能を果たしているという話を聞くが、これが右利き・左利きとどう関わっているのか、私は知らない。