光洋パラダイス(KOYO PARADISE)は不定期に更新する育児日記です(日付順)

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2004年5月2日(日) N校文化祭

ママの知り合いのお子さんが今年の春小学校を卒業してN中に行っているので、文化祭にこないか、と誘われた。こういう機会に行かないと二度と行くことはないだろうということで、子供たちを連れて遊びにいった。池田からはJR川西池田駅から尼崎で乗り換えていくのが一番速いらしい。パパは昔伊丹に住んでいてJR北伊丹駅までは徒歩15分だったので、よくJR宝塚線(福知山線)を利用していた。もう20年くらい前の話だが、久々に乗る福知山線の車窓からの風景に20年の月日を感じる。

N中は駅から歩くとすぐにわかった。ちょうどどこかの塾生の一団が帰宅するのと出くわした。背負っていた鞄から亮佑の行っている塾だとわかった。ママが知っている先生も引率に加わっていたらしい。N校は幹線道路に面したグランド横に門があり、すぐに体育館があった。ママの知り合いはここでポップコーンを売っているということでまずはご挨拶。そこではお弁当など食べ物やN校グッズが売られていた。がすでにお弁当は売り切れ。ポップコーン売り場も混み合っていたので、挨拶もそこそこに文化際会場の校舎に向かう。

門を入ってすぐの古い校舎は有形文化財に指定された建築物。そのうらに通常の授業を行っている校舎がコの字型にたっており、中庭ではバンド演奏が行われていた。そこで子供たちと同じ幼稚園の卒園生の親にあった。お弁当にありつけなかったので、お昼ご飯代わりに模擬店のフランクフルトとアイスクリームで空腹をいやしたあと、教室を巡って展示物を見て回わろうとすると、今度は別の卒園生の親と出会った。普段はあまり会わないのにこんなところで会うとは。

まず鉄道クラブの展示に興味を示した亮佑。そこを出ると、ちょうど化学クラブが化学マジックショーを始めるところだった。すでに満席の教室に入り、子供たちだけ隙間をぬって前に行かせて見物した。ビーカーに入れた液体が試薬を入れると色が変化する。砂糖にある液体を加えると真っ黒になって燃え始める。普通のビーカーなのにある液体をいれると板とぴったりくっつく。などなどのマジックを見せられ楽しそう。進行役の兄ちゃんも面白かった。

食堂で食事をして、次は新校舎を見学。意欲的な展示内容に感心しながら教室を渡り歩いていると、また別の卒園生の親と出会う。本当に受験を考えている場合は、こうして下見にくるんですね。

亮佑は、実はとてもうれしかったらしい。最後にN校グッズが欲しいといいだし、お金を渡してやるとラインマーカー3色セットを買ってきた。普通のラインマーカーにN校の文字が刻印されているものだった。

帰宅後、弟家族が実家にきているということで、夕刻に箕面の実家に行って夕食をたべた。弟家族と会うのは正月以来だ。アイトーイプレイならみんなで楽しめそうだと思って持っていった。

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2004年5月12日(水) 亮佑、学校で嘔吐

亮佑が学校のトイレの前で嘔吐したらしい。

たまたまママはコーラス部の練習のために学校に行っていた。亮佑は朝から体調が優れなかった(そういえばいつもより一層朝食を終えるのが遅かった)ようで、保健室にいって休んでいたらしい。体育は見学するようにと言われて、その後も気分が悪いということでママと一緒に帰宅することになった。

ところがママはなかなかコーラス部を抜け出せなくて、亮佑を一人で帰らせようとしたが、それは学校が許さなかった。近頃小学生を殺すとかいう物騒な書き込みがインターネット上で多発していて小学校としても警戒態勢に入っているからだ。亮佑は校舎のなかをあっちへいったりこっちへいったりしているうちに吐き気を覚えたのでトイレに向かったが間に合わなかったということだ。担任のK先生とママと近所の保護者も一緒になって汚物を掃除したそうだ。

夕刻、ママから電話があって、ママも嘔吐して寝込んでいるので、アルカリイオン飲料とカロリ補給アミノ酸ゼリーを買ってきてほしいとのこと。アルカリイオン飲料とカロリ補給アミノ酸ゼリーは、嘔吐したときの我が家の対処法としてパパが定着させた。

いつもより早めに帰宅すると、二人で寝込んでいて、晃志がひとりでピシピシ(シャドーボクシングを)していた(晃志はすることがなくなるといつも一人で見えない悪者相手に戦いをはじめる=シャドーボクシング)。晃志にまた伝染するといけないということで今日は晃志だけリビングで寝ることになった。

パパは今日は疲れたので早く寝ようと思っていたのだが、寝相の悪い晃志と亮佑が布団を蹴ってやしないかと何度か見回っているうちに、いつも以上に夜更かしてしまい、寝たのは明け方になった。

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2004年5月13日(木) 亮佑、回復するも学校休み

ママの体調も回復しないだろうと思ったので、いつも朝寝坊が日課のパパが早起きて晃志の朝食の準備をした(3時間しか寝てないので眠い)。でも結局ママも起きてきたので、晃志が食事を終えると、あとはママに任せた。亮佑は大事をとってお休み。

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2004年5月15日(土) 参観日

小学校の参観日。あわせてPTA総会もある。ママはPTA総会の前にコーラス部として合唱を披露する。参観授業が始まる前に会場の体育館で練習するというので見に行った。あとで聞くと怪しげな人が写真を撮っていたと噂されていたらしい。ママがあわててうちの主人ですと説明したそうな。

授業時間前、まず亮佑の教室に行く途中、近所の友達が「松尾のお父さんや」と声をかけてくれた。しかし亮佑はいなかった。そこで晃志の教室に行ったが晃志もいなかった。再び亮佑の教室に行こうとフラフラしたてら晃志と出くわした。晃志はあわてて亮佑のところに走った。あとからゆっくりついて行くと、亮佑は机に座って何か一生懸命にゴシゴシこすっていた。晃志が亮佑を呼ぶとようやくこちらに気づいて、何かを持ってきた。消しゴムのかすを集めて長いヒモ状にまとめていたのだった。

授業が始まるまで学校案内をするというので、二人に引っ張られて学校内をあるいた。校舎の端までいったときにチャイムがなったので、二人に急いで教室に向かうように行って、自分はゆっくり歩いて戻った。まず亮佑の授業から。

亮佑の授業は国語。今日は漢和辞典の使い方を練習する授業。先生がつくった漢字熟語しりとり迷路ゲーム。スタート地点には「学」の字が書いてある。それに続く漢字熟語を辞典を引きながらつなげていってゴールまで進みながら班ごとに得点を競うというもの。ゲームの説明がおわるまでに15分くらいかかったが、そのころにママがやってきた。晃志の教室と交代だ。

晃志の授業も国語。黒板に絵が貼ってあって、それにふさわしい文を考えるというもの。述語はすでに書いてあるので主語に相当するものを自分で考えるというものだ。「○○が火事です」という分の横に犬小屋が燃えているのをみながら電話している人の絵が書いてあった。教室にはいってすぐに晃志が当てられた。「いっちょうめが火事です」と晃志は答えた。先生は「せいかい」といって受け入れた。何でも主語を見つけると正解のようだ。

次は述語の問題。「おかあさんは」に続く言葉を考えること。晃志のノートを覗き込んだ先生は「これは言ったらあかんで」といいながらノートを指差したものだから、周りにいた保護者の方々が晃志のノートを覗き込んだ。晃志は「おかあさんは○○さい」と正直にママの年齢を書いていた。ほかにも「いかりばくはつする」「おにだ」とか書いてたが、先生に当てられたときは「ピアノの先生です」といっていた。

亮佑のほうに再びもどれなかったが、あとで聞くと亮佑の班が一番になったそうだ。

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2004年5月23日(日) みつなかホール

川西市文化財団が運営管理する川西市の市民ホール。今日はそこでママの知り合いの先生が古典舞踊で出演するコンサートがある。ママは早めに出て差し入れを買っとくから、あとから子供たちを連れてきてねと言って出て行った。子供たちに昼食をとらさせて、チケット交換開始時間に間に合うように出かけた。川西阪急まで歩いて30分くらいだから、みつなかホールまでは20分くらいだろう。ということで歩いていった。

チケット交換時間になってもママはこない。電話するといま阪急についたところという。話にならない。慌ててタクシーでやってきたママは亮佑の服をみて怒り心頭に達したようだ。あれほど着替えてねと念をおしていったのに着替えてなかったからだ。パパはなんかそんなこと言ってたなあと思ったが、どんな服を用意してたのかしらない。ママが出て行くときは食事の準備中だったからだ。

食事前に早々と着替えていた晃志とちがって亮佑はパジャマ同然の格好だった(とはママの評)。プーマのTシャツにトレーニングパンツ風の短パン、パジャマには見えないし、これでもいいやん。とパパは思ってた。でもママには許されない服装らしい。だったら最初からよそ行きの服を着せといたらいいのに。

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2004年5月24日(月) 下水処理場見学

亮佑が小学校の遠足で下水処理場の見学に行った。ママは保護者として同行した。といっても随行したわけではなく、現地まで車で行って途中で切り上げて帰ってきたにすぎない。子供たちは小学校から下水処理場まで歩き、さらにクリーンセンター(ゴミ処理場)に寄って学校まで戻ってきた。

ママは児童たちと一緒に、下水処理によって汚水がどれだけきれいになっているのかを解説する映画をみた後、実際の施設を見学した。

パパが9時過ぎに帰宅すると、ママは興奮気味に、今日は勉強になったと、その内容をしきりに話してくれた。あれだけいやがっていたくせに、いざ行ってみると、すごく満足したようだ。ただ、今日はとても快晴で日差しが強かったのに半袖で行ったので、それを悔しがった。

暑い日差しのなか、亮佑だけ帽子をかぶっていなかったらしい。ほかの児童はみな紅白の体操帽をかぶっていたのに。あとで聞くと、なくしてはいけないと思ってずっとリックなかに入れていたそうだ。なぜなら亮佑はずっと前に紅白帽をなくして、幼稚園のときの帽子をかぶっていたのだが、さすがに小さくなってかぶれなくなったので、つい先日ママがあたらしい帽子を買ってあげたのだ。亮佑はそれをなくすとまた叱られると思ったのだろう。だから大事にリックのなかにしまいこんでいたらしい。

なくしてもいいから、ちゃんと帽子かぶりいな。

あとでママはただリックから取り出すのを忘れてただけやって、と亮佑を非難した。

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2004年5月26日(水) 亮佑発熱

遠足の疲れか?

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2004年5月27日(木) 亮佑登校前に再発熱

ずる休みか?

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2004年5月30日(日) 佐藤琢磨、予選第2位!

「今日はF1観るからはよ宿題終わらしてや」とパパ。
「エフワンってなに?」と亮佑。
「世界のトップクラスの自動車レースや、佐藤琢磨という選手が予選で2位になったんや。今日は1位になるかもしれへん。」
「ふーん」
「佐藤琢磨はえらいで」
「なんで?」
「小学校のときにF1レースを見て、自分もF1に出たいと思って、それを実現してんねん。」
「ふーん」
「 高校のとき一人で自転車部をつくって自転車レースで日本一になってんねん。」
「自転車レースってあるん?」
「そのあとレーシングスクールに入って、一番で卒業して、奨学金もらってイギリスに行ってレースで優勝して、ついにF1レーサーになったんや。つまり自分でやりたいって思ったことは、必ず努力して実現してんねん。それが偉い。しかも威張ってないねん。」

残念ながら佐藤琢磨は48週目でエンジンブローでリタイア。その直前にバリチェロを抜かんと果敢に攻めて接触し、フロントウイングをなくしてしまったのだが、テレビでの解説によるとそれがエンジン損傷の原因のようだ。その解説を聞くまではモナコでも壊れたのでホンダエンジンの耐性の問題なのかなと思っていた。当の琢磨はインタービューで、バリチェロがミラーをみていないことを批判し「遅かれ早かれエンジンああいうことになったしね」とコメントしてた。けどBARのメカニックの話ではバトンと同じセッティングなのにどうして、という話もあるらしいから、やっぱり琢磨のドライビングが手荒いのかも。

あの自信に満ちた攻めの姿勢は今後のレースでの好成績を十分期待できる。子供に佐藤琢磨は偉いって言ったけど、見習わないといけないのはむしろパパかもしれない。

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