光洋パラダイス(KOYO PARADISE)は不定期に更新する育児日記です(日付順)

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2004.3.7(日)春のコンサート

去年、幼稚園年長だった晃志が出演してみんなで聴きに行った池田市恒例の市民音楽祭。今年の春のコンサートは、ママが小学校のコーラス部として出演。ママは去年はコーラス部ではなかったが、晃志の入学を機にコーラス部に入った。実は、昨年の春のコンサート時、コーラス部の記念写真の後ろに2人の子供がいっしょに写っていた。それはロビーをうろつき回る亮佑と晃志だった。その写真をみせてもらったママは、後方にいた我が子らに気づき、これもなにかのご縁ということで、と驚いたという。

朝早くから練習があると言って出かけていった。どうしたことか、朝からめっぽう寒くて、とうとう雪が降り出した。ママはその吹雪のなかを石橋駅から練習場まで歩いたらしい。

2時40分頃出演ときいていたので、亮佑と晃志をつれて車でアゼリアホールにむかったが、予想通りホールの駐車場は満車で待ち行列ができていた。

ロビーでママの出番ひとつ前まで待っていると、小学校の校長先生に会った。あとでママに聞くと、「ダンナと子供たちが見に来てるで」と楽屋口で何度も言われたそうだ。

席につくと、すでに着席していた伏尾台のおじいちゃんとおばあちゃんがあとから後ろの席にきてくれた。ママの出演を家族で見る。ところがママの立ち位置は指揮者のかげに隠れて見えない。あわてて席を移動して撮影しました。

 

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2004.3.13(土) 塾のテスト

亮佑が通っている塾では、3月から新学期になる。6年生の中学受験が終わって授業の必要もなくなるので効率的な教室稼働のためには3月〜2月を1学年とするほうがよいからだろう。

4年生からは社会と理科があたらしく加わる。塾で覚えてきたことを得意げに話す亮佑はかわいらしい。地図記号や昆虫の生態など、ママも一緒に勉強できる。算数は3年の復習的内容だった。あまりに簡単な内容に、はじめてのテストを控えて亮佑は「今度の算数テストは満点とれる!」と自信たっぷりだった。

4年生からはテストの日が土曜日になった。いつものように、出かけは車で送ってあげて帰宅は自力。満面の笑みを浮かべて帰ってくるかと思いきや、どうも足取りも重く、ふてくされた表情だった。ママが元気よく迎えても、愛想笑いさえしないで、「できひんかった」と小さな声で返す。

パパが「問題みせてみい」というと嫌々ながら問題をカバンの中から取りだした。パパはそれをみてびっく! 3年次のテストとは問題量が倍ほどちがうのだ。

算数の問題を見ながら「どこまでできたん?」ときいて、亮佑が示したのは、なんと問題ページの3分の1程度のところまで。いままでいくら出来なくても問題の半分はこなした。それが徐々に出来るようになって、一度満点をとったあとは、いちおう満点を目指して来たのだ。それが3分の1程度しかできていない。

びっくりしたパパが「なんや、ぜんぜんできてへんやん」と言ったとたん、亮佑が「わぁーっ!」と言って泣き出した。悔し泣きだった。テストの成績が悪くて泣くのは初めてだった。驚いた。でも、これは見込みあるやんと思った。

よく聞くと、問題の種類が3つあって、そのうち2つは塾のクラスごとに異なる種類を選択する形式だった。だから最初3分の1くらいと思ったのは、実は半分の量は回答していたことになるのだった。少しは安心した。それは3年のはじめのころの亮佑が時間が足りずに半分くらいしか回答できなかったのに、いつのまにか満点とれるようになってきたからだ。

でも亮佑は悔しかったらしい。時間が足りなかったのだ。しかも少しわかりにくい問題に時間をかけすぎて、簡単な計算問題をやり残してしまったのだ。

時間が足りなかったのは算数だけではない。国語は題材の文章がとても長くて読み切れなかった。理科社会も問題文が長くて時間がたりなかった。内容はいずれもわかっていたのに、問題文を読み切れなかったのだ。

要は、読み書きソロバンの基本的学習能力がまだ未熟だということ。そして試験慣れしていないということ。そういうことだ。百マス計算と音読と早くきれいな字をかくこと、それをこれから少しずつやっていけばいい、と夫婦で慰めてやると、なんとか気を取り直した。

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2004.3.14(日) 晃志の歯が抜けた

晃志の歯がまた抜けた。先日はごはんをたべているときに抜けたのだが、今日はパパと遊んでいるとき。パパが晃志のくちにさるぐつわ状態にタオルを巻き付け、馬のたずなのようにして晃志にひっぱってもらって遊んでいたら、抜けた。

ぐらぐらしていたのを知らなかったパパは一瞬おどろいたが、抜けたのは乳歯。いつもの抜け方より痛かったらしいが、めでたいめでたいとはやしたてた。

前歯が4本もぬけた晃志のかおがおもしろかったので、いやがる晃志に「バカ殿」風の化粧をしてあげた。ついでにパパのはんてんを着せて記念写真。最初いやがっていた晃志だが、写真をとるときになるとバカ殿になりきっていた。


ゴムでくくったちょんまげもあったんだけど…

それ見ていた亮佑。勉強中の机から、「りょうちゃんもしてえ」

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2004.3.20(土) 塾のテスト(2回目)

亮佑の塾の定期テスト、第2回目。今回は前回の反省からしっかりと復習をして臨んだハズ、とはママの談。前日までにママの特訓で漢字の読み書きの練習は完璧だったらしい。理科も社会もばっちりのハズだった。

しかし帰宅した亮佑は前回より浮かない顔。どうやったん?と聞くと、夫婦とも何も非難していないのに、わんわん泣き出したので、抱き寄せてやった。よっぽど悔しかったのだろう。よしよし、その悔しさがあれば大丈夫。(パパが小学生のころ、テストができなくて泣いたことなんかないもんなあ、たいしたヤツやこいつは)

実はママが大丈夫と踏んでいた算数がまったく手も足もでなかったらしい。「分配法則がわかれへん。」という。(分配法則って?)と思いながら話をきくと、実は塾の授業の内容にまったくついていけてなかったらしい。当然テストなど回答できるわけがない。

逆算、計算手順、分配法則、聞き慣れない言葉がどんどん出てくる。教科書をみながら、パパと一緒にあらためて復習をすると、その概念が少しは理解できたらしい。あとは計算力のみ。

 

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2004.3.21(日) 大阪城公園

ママの勉強会が大阪城近くのドーンセンターであったので、終了時間に合わせて子供たちをいっしょに天満橋駅までお出迎え、というかママと待ち合わせ。パパもママも十数年前は天満橋付近で働いていたので懐かしい(そのころはお互いに知るよしもなかったのだが)。

まずは空腹のママのためにOMMで軽く食事。でも子供たちは出かけにチキンラーメンをたべてきたので、結局パンと飲み物だけの軽い食事だった。OMMには昔、展望回転レストランがあったのだが、なくなって久しい。一応上まであがってみたが、屋上庭園にも出ることはできなかった。

OMMから歩いて大手門に向かう。あいにく梅には遅すぎて、桜には早すぎたが、ぽかぽか陽気で大阪城公園も結構なにぎわい。天守閣に向かう途中、同じマンションに住む晃志のお友達の親子連れに出会った。マンションではなかなか出会わない母親同士で、こんなところで会うとはねえ、と感心し合っていた。

天守閣の広場では大道芸人が芸を披露していた。でもまずは天守閣。実はお化粧直しして以来、はじめての天守閣だ。いやあ、もっと前から来ていないかなあ。前に来たときはまだ昔の古くさいエレベータだった記憶がある。

高いところが怖い亮佑は、天守閣の入り口までのところですでにおびえていたが、それは池田城のような物見櫓をイメージしていたからだ。スケールのちがう大阪城の天守閣に足を踏み入れて安心しきったようだった。

天守閣から一望する大阪平野は気持ちいい。でも梅田方面はビルばかり。その合間をぬって池田の猪名川にかかる阪神高速の斜張橋のライトが点滅しているのが確認できた。斜張橋そのものは確認できなかった。

夕方になるとさすがに涼しくなってきた。なのにソフトクリームを食べたいという子供たち。パパはどちらかというとたこ焼きが食べたかった。ソフトを食べる子供たちをみてママが寒そうと連発する。二人が食べてる最中に行列に並んでたこ焼きを買ってきたパパが最後の一口をもらったが、ソフトは冷たすぎて、シャーベットみたいだった。

帰りは谷四に向かう。馬場町あたりの景観もNHKが新しくなってすっかり変わってしまった。ホントにお上りさん気分。それにしても今日はよく歩いた。

夕食は阪神百貨店の地下飲食店街で食べて、帰りにケーキを買って帰った。塾の公開テストが昨日あったために、亮佑の誕生日パーティをまだすませていなかったのだ。

 
亮佑やっと9歳

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2004.3.22(月) 晃志、嘔吐

晃志が朝食後、トイレでうんちしているときに嘔吐。同時に鼻血も。パパは昨夜徹夜状態で仕事だったのでまだ寝ていてその惨状は知らなかったが、大変だったらしい。晃志は学校を休んだ。たぶんウイルス性の胃腸炎。そういえば昨日の夕食時もいつもの食欲がないような雰囲気だったかな。ママがいうには、あんな寒そうな格好でソフトを食べるからや。

晃志は一日中だらだらとずっとテレビをみて過ごしていた。

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2004.3.23(火) 亮佑、嘔吐

昨日の夜、亮佑も吐いた。亮佑の場合は最悪なことに寝入ったあとに気分が悪くなり、深夜2時頃、我慢しきれなくて布団の上に嘔吐しながら、廊下にもまき散らしながら、洗面に向かって吐いた。

ヘッドフォンしながら仕事してたパパにもはっきり聞こえるママの叫び声に、「なんやなんや、どないしたん」と駆け寄ると、上記のような状態。ママがヒステリックになるのは無理ないが、(病人なんやから、もう少しお手柔らかにたいおうしたりいや、とおもってパパが布団の始末をした。

被害はママの布団にもおよんだ。「布団ごと捨てよう」と言い出すママ。「洗って干したら臭い消えるって」といってもなかなか承知しなかった。亮佑の布団は上下ともリビングに引き出して、シーツをはいで、風呂場で流して、洗濯機につける。亮佑には予備の敷き布団(亮佑の幼児期の布団)とパパの薄手の掛け布団をもってきてやった。

まあ、それだけなら許せたのだが、亮佑はそれから2時間おきに吐いた。しかも2回目の4時頃もまた布団に吐いた。一度目は許せたパパも、さすがに2度目となるとムッときた。さっきシーツをはいでいた敷き布団のほうがマシだったので入れ替えた。

3度目は6時ごろ。さすがの亮佑も、枕元に用意してあった洗面器を受け皿にしながら、なんとかトイレまでたどり着いた。

晃志とちがって夜中に発病というのがやっかいだったが、嘔吐の仕方も回数も晃志よりひどかった。

当然学校は休む。が、ママは学校に電話せずに、晃志に言付けするように言っただけだった。

亮佑の担任から電話がかかってきた。今日はお休みですか?

朝から亮佑の姿をみないので、晃志のところかと思い1年生の教室まで行ったがいなかった。みんな、隠れているかと思って探し回った。という。

パパは内科の診察日だったので、ママが買い物に出たあと病院にいって、ママより一足はやく帰ってきた。ちょうど晃志が帰宅してきて玄関先で亮佑をよんでいるところだった。

そのすぐあとにママが帰ってきた。ママはまだおこっていた。帰宅した晃志に「ちゃんとN先生にいったん?」ときくと、「職員室にいったけどいなかった」と晃志がこたえたので、「だからいってへんの?」と怒りをあらたにした。

パパもちゃんと「いわんとかんやん」といって職場に向かった。

N先生からの電話もあって一日中機嫌がわるかったママから、帰宅時にアクエリアスを買ってきてという電話がはいった。亮佑の要求らしい。ママがかってきたプリンしか食べてないらしい。実は財布の中身は500円しかなかったのだが、アミノ酸系の栄養ゼリーを一緒に買って帰った。

パパが帰宅してから、晃志に事情をきいた。朝、職員室にいって亮佑の担任のN先生を捜したけどいなかったので、別のクラスのS先生にN先生いませんかときいたら、要件をきくので、お兄さんが吐いたので学校やすみますといってください、と言ったらしい。どうも晃志は濡れ衣を着せられたらしい。悪いのはN先生に晃志の伝言を伝えなかったS先生だ。あの小学校ではよくある話だ。

亮佑のクラスでは、今日みんながそれぞれ一芸を披露することになっていたらしい。それで亮佑は手品をすると先週末から言っていたのだが、百均で手品の種を買ってくれとせがむので、そんなんは手品ちゃうといって相手にしなかった。トランプ手品やったら教えたるから練習しなさいといっても、1つだけやったら時間がもたへんとかなんとかいっていやがった。

結局手品はあきらめて、ともだち3人でコントをすることにしたらしい。そういえば、その手書き原稿が食卓の上においてあった。仲間の2人は亮佑が教室に現れないので学校中をさがしたらしい(学校中は大げさだと思うが)とはN先生の談。

いつもなら晃志に伝言を頼んでいても、ちゃんと電話で連絡するママだったが、今日の場合は相当頭に来たんだろう、それをしなかったので、亮佑は怖じ気づいてさぼったとおもわれたようだった。

一日中寝ていたので、よるは眠れないのではないかと心配したが、11時をすぎるとちゃんと寝入ったようだ。やはりよっぽどしんどかったのだろう。

今年は家族中インフルエンザにもかからず、ひどい風邪にもかからず、無事冬をこせたように思っていた矢先の出来事だった。やっぱり何事も最後まで気を緩めてはいけませんね。

おかげでママもパパも今日一日吐き気がおさまらなかった。でもパパたちは軽症で済んで良かった。

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2004.3.25(木) 亮佑がママを殴った

亮佑がママを殴ったらしい。帰宅するといつものようにママの明るい「おかえりなさい」の声がない。リビングの床に座り込んで新聞を読んでいたママが振り返ると目に涙が溜まっていた。

「亮佑になぐられた」

話をきくと、いつものように長い前段があってようやく本題にはいる。まとめるとピアノの練習をしようとしない亮佑に口やかましく練習するように言い続けたあと、いつものように背中をポンと押してやると、その反動のように右の頬にパンチをくらったというのだ。亮佑はそのまま勉強部屋に入って出てこないらしい。

「もうなんも言わんでいいから、ほっとけ」と助言。とにかくママがこれ以上何か言うと親子喧嘩になるから先にお風呂でも入っておいでと言う。

実は今日から小学校は春休み。昨日はドリフターズの特番をやっていたので特別に遅くまでテレビをみさせてあげたから、ちょっと朝寝坊を許してあげた。しかし亮佑がやらなければならないことはたくさんある。ママはまず午前中に塾の宿題をすませるように言うがなかなか始めようとしない。しびれを切らしたママが「横についたろか?」と言ったら、亮佑は「どうせママなんかには(難しくてどう教えたらよいか)わからへんわ」と言って断ったという。それでママは悲しくなって泣いてしまった。

そういうことがあって、夕刻のピアノの練習のときに亮佑が反抗したのだ。

ママにもいったけど、いまやろうと思っていたことを(思っていなくても)、矢継ぎ早にあれしろこれしろとやいやい横で言われると、やる気が無くなるものだ。だからあまり急かさないで自発的意志によって始めるまでまったほうがいい。「そしたらなんにもしないであそんでばっかりやんか」とママは反論するが、だからといって無理やり水飲み場につれていっても飲みたくない水は飲まないものだ。一日中いっしょにいると客観的判断ができなくなってしまうのも無理ないが、そこはもう少し冷静になってあげよう。

結局いつまでたっても部屋から出てこないで晃志とあそんでいるので、パパが行って「いいかげんにお風呂入って寝る用意しろよ」と怒り口調でいうと、二人ともしぶしぶお風呂に入った。すでに10時半だった。一緒にお風呂に入って二人まとめて説教した。

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2004.3.26(金) ドラゴンクエストV

プレステ2に移植されたドラクエVを買った。ロールプレイングゲームの代表作を子供たちに知っておいてもらいたかった。亮佑の誕生日プレゼントという位置づけで、アマゾンに予約しておいたのだ。

晃志は「ラチェット&クランク2」を欲しがっていたが、あれは多すぎる戦闘シーンの影響を受けてゲーム後に戦闘的になる晃志をみていると、これはダメだとおもったから続編は買わない。

むしろRPGの古典的名作といえるドラクエをやらしてみたかった。しかもN響によるBGM。パパはやったことはないんだけど。

フルオーケストラによるBGMは、子供たちがゲームをやっているのを傍らでみているときに他のゲームのような耳障りな音でないので、イライラしなくてすむ。

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2004.3.28(日) 大阪くらしの今昔館(住まいのミュージアム)

亮佑の塾の春期講習会が3月31日から始まるので、亮佑の春休みは3月中で終わる。パパも4月になるともう怒濤のような忙しさになるので、この日は春休みの子供奉公の日。前日までどこに行こうか思案していたが、昨年の夏、ポケモンスタンプラリーのときに行きそびれた住まいのミュージアム(大阪くらしの今昔館)をターゲットにした。パパも勉強のために行っておかねばらない施設なのに行ったことがない。

なんとか落語の開始時間ぎりぎりすぎに到着した。が、はじめてなので勝手がわからない。落語に直行したかったが、エスカレータは1人分の幅しかなく前方に先客がいてかけあがることもできない。途中で落語の会場がエスカレータの到着する階より1つ下だとわかるが、飛び降りることもできない。エスカレータを降りると、一目散に落語部屋に向かう。

結局満席で建具の陰から立ち見しかできない。子供たちはママに任せて、パパだけ反対の高座側にまわって横から聞いていた。ママは途中で抜け出した客のあとに座ることができたようだ。同じように抜けた人のあとの立ち席に張り出してきた人がいる。なんと館長の谷先生。はじめてきましたと白状すると「こら!」と怒られた。落語がおわってから家族を紹介したら、なんと晃志はママの膝で寝入っていた。

江戸時代の大阪の町家の様子は、ママを感動させた。ママのおばあちゃん(花子ばあちゃん)の心斎橋のお店がちょうど同じようなつくりだったからだ。子供の頃よく遊んだ建物のようすが、ママの原風景として焼き付いている。それがここに再現されているというのだ。目に涙をうかべながらもはしゃぎ回るママ。


江戸時代の大阪

さらに近代大阪の様子を展示してある8階は、思いもよらないことに。

なんと、街の模型のひとつが空堀商店街だったのだが、それはママのおばちゃん家の場所そのものだった。八千草薫のナレーションを聞いていてボロボロ泣いているのは、空堀のおばちゃんが病に伏せって余命幾ばくもないからだ。

感動した! というママ。パパの住居系の仕事の分野にあまり興味をしめしてこなかったママだが、大阪の街の歴史は身近な存在だけに感動したらしい。

さらに企画展として開催していた「せりざわけいすけのせかい」の部屋にいくと、亮佑がさりげなく天井の方を指差して「ざぶとんや」という。何をいってんねん、と見上げると、なんと我が家の座布団カバー「風」がのれんとしてかざってあった。

へえ、しらんかった。と顔を見合わせるパパとママ。おどろきの連続でした。

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2004.3.30(火) 晃志、ふたたび嘔吐

パパは朝から歯医者で親知らずを抜いてもらった。虫歯がひどくて痛いからというわけでもなかったが、十数年前に治療した虫歯の冠がとれて再治療しているなかで、すでに虫歯になっている親知らずは歯茎がかぶさっていてブラッシングできない部分があるので抜いたほうがいいということになった。

久々に抜歯のつらさを体験。これで4本あった親知らずはすべて虫歯で抜いた。

午後からは出勤。そのついでにヤマハ音楽教室の発表会がメルパルクホールであるというので、ママと子供二人を千里中央駅まで送っていく。千里中央に着いたとたん、晃志が吐いた。手で口をおおっていたものの、大半は手からあふれ出てズボンと座席(さいわいにもチャイルドシート)にこぼれた。あわててゴミ袋を晃志に渡してその中に吐くように言った。

服を汚してしまったし、ウイルス性胃腸炎の再発なら再度嘔吐するかもしれないということで、晃志を自宅まで連れて帰ることにした。パパは午後からも休暇とした。

ところが晃志は比較的元気で再度嘔吐することはなかった。昼食には玉子ドンブリを食べたいと言いだし、半信半疑で作ってやると、しっかりとたいらげた。ところがパパは抜歯時の麻酔が切れたとたん、猛烈な痛みが襲いかかってきた。慌てて鎮痛剤を飲んだが効き目が出るには時間がかかる。晃志の世話をするためといって仕事を休んだが、実際には自分の痛みを癒すために休んだようなものだった。

結果としてママと亮佑だけで行った発表会。亮佑はママと二人きりで出かけるのは久しぶりやなあと、ママを独占できたことを楽しんだようだ。そして演奏会では昨年までの仲間が楽しそうに合奏するのをみて、あのグループに戻りたい、と漏らしたそうだ。音楽をやりたくないといって辞めたヤマハだが、昨年までのステージでの達成感や楽しさ、輝いていた自分を思い出したのだろう。

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2004.3.31(水) 空堀のおばちゃん

空堀のおばちゃんが亡くなった。明日がお通夜。二三日前に住まいのミュージアムに行って空堀商店街の模型をみてママが涙したのは、虫の知らせだったのかもしれない。

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