日本代表/試合観戦記/1997年


97.11.8 対イラン ジョホールバル(マレーシア)

第一話 「 マレーシアに行こう 」

 

 97年11月8日。東京の国立競技場で我が日本代表は、今予選最高ともいえる動きを見せてくれて5対1とカザフスタンを撃破して、アジア第三代表決定戦へ行けるBグループ2位のチケットを手に入れました。左サイドの相馬、名波の崩しからの素晴らしいセンタリングが何本も上がり、直前に代表復帰したドーハの戦士”中山””高木”もきっちりと結果を出していいムードで第三代表決定戦に臨めそうという感じがしました。第三代表決定戦の地はマレーシアに決定。相手はまだサウジアラビアかイランか決まっていませんでした。

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 カザフスタン戦の翌日。スポーツニュースやスポーツ新聞ではサウジやイランの分析が始まっていました。私は、テレビで日本代表選手が成田に集合してマレーシアへ行くのを見て、”頼むぞみんな!”という思いに加え”テレビの前で応援するだけで満足なのか?”という思いが出てきました。実はアウェーの韓日戦が終わってから何人かの友人から一緒にマレーシアへ行かないかと誘われていましたが色んな理由で断っていました。一度断っておいて行くのも…と思いましたが、どうしようか決め兼ねているまま深夜になりました。

 この最終予選の新聞やビデオを整理していて、何故ここまで日本代表が好きなのか?、何故ここまで応援しているのか?考えました…はっきりとした答えは見つかりませんでしたが”ただ好きだから…” だ・か・ら”応援するんだ!”という思いが強くなりました。日本代表がワールドカップの初出場を決める試合は、その国に一度しかない!その瞬間を自分の目で確認しなくても満足なのか?!と考えた時。”マレーシアへ行こう!この目にその瞬間を焼き付けに行こう!”という強い欲望が沸き上がって来て、マレーシアへ行くのを決めました。

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 翌日、月曜日に、まずは予算が有るか午前中に確認して、ツアー情報を確認しようとJ−netを覗くと、ツアーの情報やマレーシアでの情報がさかんに載っていました。まずは友人が申し込んだ近ツリ渋谷店に電話すると、50人の枠に250人の申込みが有り、受付けもストップしているとの事。あきらめて、東急観光新宿支店に連絡するとサッカー担当者が電話中で、すこししてから返信するとの事だったが、1時間待っても返信なし。無理かな〜と思ってもう一度電話すると、本日中に航空券の確認が取れるので、取れたら連絡するとの事。ホテルとチケットは確保しているらしい。2時間後、15日出発、18日朝帰国なら予約大丈夫と連絡があり、早速申込みました。火曜日も休むとなると仕事の調整が必要になってくるので、後輩にお願いして仕事を変更してもらい。休みも確保しました。

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 ツアーが取れた夜、いてもたってもいられなくなり。サッカーショップ加茂に行って、青いロングソックス、井原キャプテンと同じ赤いキャプテンマークを買ってきました。キャプテンマークは寝る時と入浴以外、翌日から仕事中もYシャツの下の左腕に巻いて生活していました。(ワールドカップ出場が決まるまで、一瞬でも代表の事を忘れないようにと…)、マレーシアへ持っていく青いビニール袋も100枚購入して準備万端整えました。

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 水曜日深夜A組の最終戦で、サウジアラビアがカタールに勝って2大会連続W杯出場を決めました。そして我が日本代表の相手が、4年前ドーハで辛酸を舐めたイランに決まりました。はっきりいって、日本の本来の動きが出来れば相手がどこだろうと”負けるわけが無い!!”と思っていたので、どこが出て来ても大丈夫だと思っていました。旅行会社から案内が届いていよいよという気持ちになります。翌木曜日、会社の後輩から、祈りを込めた相馬レプリカユニを預かり、固い握手を交わします。その時に17日の朝刊全部買うようにと、17日のニュースステーションのビデオ撮りをお願いしておきました。(最悪の場合の22日の国立チケット取りの並びも…苦笑)

 翌金曜日、あと2日と思うと鼓動の高まりが押さえられずに、仕事も手に付かず、細かいミスを犯してしまいます。電話をしていても口調が厳しくなり、これじゃあ仕事にならないと思いましたが、早退出来るわけもなく、時間を過ぎるのを待ちます。夜の作業が終わり会社で片づけをして自宅に戻ります。夜チャットをやりますが、会話していても鼓動の高まりが押さえられずに早々に切り上げて眠ろうと布団に入りますが、眠る事が出来ずに何度も起きては喉の渇きを癒します。3時過ぎる頃に(多分)部屋の寒さに布団に包まっていたら自然と眠りに入りました…が、翌朝は6時には目が覚めてしまいました。

 前日、ほとんど準備をしなかったのでマレーシア遠征準備を行います。いままで写した井原キャプテン、能活、城、小村のマリノス勢の写真も一緒にマレーシアに連れて行きます。成田空港集合が17時のため、時間が余ってしまい、どうしようか考えた末、4年前のイラク戦のビデオを見る事にしました。テレビ東京で放送した時のビデオを見て、気合いを入れます。代表選手の動きが悪くなった時、私たちの声援で選手を動かそう!という思いを強くして自宅を出発しました。

 

       … 第一話終了 …       まだマレーシアには着いていな

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