山本淳一

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00/03/28 PINO
「PINO」 3/25昼の部 東京芸術劇場

 内海光司の舞台出演が判明した。年末11月12月で、芸術座。主演:佐久間良子。あああああ、初日から居眠り者続出だった「晶子曼陀羅」の悪夢再び、という感じで、いまひとつ盛り上がらない。こないだの「渡る世間は鬼ばかり」が、わたし的にはたいそうツライ舞台だったのもあって、内海テンションが思ったよりも上がらないのだ……とか言いながらも、速攻で芸術座まで行って、チラシもらってきちゃいましたが。
 夏は晃の「big」もあるし(なにせミュージカル! 映画版「big」はお気に入り映画のひとつ!)、チケット代を稼がなきゃね。頑張ってお仕事いたしましょう。

 さてミュージカル。「SANADA」も「ふたりでお茶を」も見てないわたしにとって(当時ファンじゃなかったんだな)、今回の「PINO」は彼ら関係でははじめてか。むかしはわたしも「いきなり踊りだしたり歌い出したりして、なんかヘン」と思っていたものですが、「そーゆーもの」と慣れてしまえばたいそうオイシイものだったんすね。可愛かったわ〜、淳くん♪

 というわけで、毎度のようにネタバレありです。まだご覧になってない方は、ご注意ください。



 心優しい10歳の息子・ピエールを事故でなくした博士が作った、ピエールそっくりのロボット・ピノ。軍事利用をたくらむ軍に狙われて逃げだし、ゴミ捨て場を放浪しているところを手品師の兄妹に拾われ、サーカスの出し物にされる。手品師の兄が逮捕され、ピノが引き取られた先は、ある軍人の家。3人娘の末っ子・ナーナによって、人間らしい心を吹き込まれたピノは、やがてはじまった戦争によって人間同士が殺し合うことに疑問を持つのだった……。
 淳くんの役は、タイトルロールの「ピノ」。もちろん、10歳のピエールと二役だ。白いブラウス(シャツではない!)にリボンタイのピエールくんは、むっちゃ可愛かったっす。淳くん、ウエストも腰も足も細すぎ。また痩せたんじゃないかしら。目の保養にはなったけど。そしてちゃんと「10歳の子供」の雰囲気を作っていたところは、さすがですね。ショタの心はまったく持ち合わせていないわたしでも、ちょっとトキメキました、はい。
 んで、思い切りわたし的にツボなのは、「けなげなロボット」。ピノくんはずばり、ここにヒット!です。ちゃーんとロボットの悲哀「人間よりも長い時を生きる」まで織り込まれていて、ああ可愛いったらありゃしない。淳くんだからなおさらね。笑顔、あぴあぴしてるんだもん。

 ただ、ストーリー的には、納得いかんとこが多々あります。
 手品師兄はなんで逮捕されたのか。軍が解体調査しようと狙っていたはずのピノが、なんで政府の命令で軍人の家にひきとられるのか。悪い軍の人(名前忘れた)を火事から助け出したのはともかく、戦場でその人が死ぬ間際に「今度は助けてくれなかったな」というのは余計なセリフだったな、とか。
 子供向けだから単純なストーリー展開にしたんだろうけど、その割りにはごちゃごちゃしてると思うのよ。時間が長いし。休憩があるとはいっても、2時間半は子供は飽きるだろう。実際、2幕とかは、けっこう子供の泣き声とか響いていたし。もうちょっとストーリーや演出を整理して、短くしてもよかったと思う。ゴミ捨て場のシーンとか映画撮影のシーンとか、別になくても支障はないしね。
 だいたい、「町を救った」とか言っておきながら、実際に事故から救ったのは子供ひとり。過大評価じゃありませんか、手品師兄。まあ、孤児院を開いていたことを指しているのかもしれませんがね。でもわたし、戦争が絡むっていうし、町を狙ったミサイルと格闘でもするのかと思ってました。それじゃ「アイアン・ジャイアント」か。余談ですが、この映画も最高に素晴らしい出来でしたので、機会があったらぜひ見てください。わたし、試写室で号泣しました。ワーナー・マイカル・シネマズ限定ですが、4月に公開されますんで。

 あとさー、いちばんの問題点はさー、淳くんの衣裳だと思うのー。
 ロボット形態のときはー、全身銀でそれなりにかっこいいんだけどー、ナーナの家ではその上に薄手の服を着てるのよねー。肩のうしろあたりに突起があって、これが服着るとちょうとコブみたいに見えるわけよー。姿勢悪く見えるしー、かっちょ悪いったらないのよねー。せっかく淳くん可愛いのに、超だいなしーって感じー。服着てるシーンがかなり多いんだから、もうちょっと考えて欲しかったわー。
 ……しょせんはファンだな、わたし。判ってたことだけども。



 という内容を3/28にアップしたところ、物語の内容で一部間違いがあったことを教えていただきました。麻弥さん、ありがとうございます。
 わたしが「味方の悪い軍人」と思っていた人は、実は敵国の人なんだそーです。んでもって、ピノが引き取られるナーナのおうちも、軍人さんではなくて、政府の偉い人(外交官?)だとか。なるほど、ちょっと意味が通ってきました。
 なんで悪い軍人が味方なんだと思ったかを考えたんですが、最初の出方がいかんかったんだと思い当たりました。ピノが完成したとき、この人は博士の家に来るんですが、このときに「いかにも博士の旧知の人」って感じだったんですよ。博士が何か自軍の役に立つ発明をしないかと、むかしから虎視眈々と狙っていたって感じだったの。だからわたし、てっきり自国の人だと思ったんだな、うん。たいへん失礼しました。
 以上、言い訳でした〜。
 



99/1/3 謹賀新年。
12/21 東京全日空ホテディナーショ17:00〜
 あけましておめでとうございます。
 年末にいきなり彼ら関係いろいろありましたが、さすがに年末でバタバタしていて更新できずおりました。今年もこんな具合にトロトロしておりますが、どうぞよろしくお願いします。

 さて、アツヒロ&淳くんジョイントディナーショーである。はっきり言って、話を聞いた最初は「ふざけんなっ!」であった。不安を抱くにも至らないほど頭が真っ白になって、予測も何も出来ない状態。思い通りのことをさせてあげられない彼らが気の毒で、重い通りのことを見せてもらえない私たちが悔しくて。やけっぱちなアツヒロのラジオに涙し、懸命な淳くんの雑誌記事に遠い目をして、日々を過ごしていた。
 ところが。
 彼らは、やっぱり、プロフェッショナルであった。

 お互いの世界を大事にしながらも、ふたりの共通点である「光GENJI」を全面に押しだした構成で、とても良くできていたと思う。初っぱなが「ほのかに甘くHOLIDAY」で、それだけでもう涙モノだったが、花道を通るときに楽しそうにお互いの腰を抱き合っていたり、目を交わして微笑んでいたり。懐かしのHGクリスマスソングのメドレー、かの名グループSAY'Sのナンバー等を、あの頃とはひと味違った歌声で聞かせてくれた。「あきすとぜねこ」なんて、可愛さそのまま上手さアップ。緩急自在な構成と相まって、大人な彼ら、子供な彼ら、どっちもたくさん堪能させてもらった。
 アツヒロのソロ曲も、淳くん得意のアフリカの曲もあり、アツのハモニカと淳くんのタイコの競演なんつーのまで。このふたり、「大きさ」が同じくらいだから、並んだ時の印象がなんだか新鮮なのね。それで競演なんつーことをしてくれちゃったもんだから、新鮮の二乗。いいもの見せてもらいました〜って感じだったな。

 しかも、この日の私たちのテーブルは、最前列、花道上手寄り1番前。つまりステージにいちばん近い席であった。汗の粒もあばたもシミも肉眼でしっかり見えて、マイクオフの肉声だってよくわかる。いつものつもりでMCに「よくなーい!」などとつっこみ入れてたら、しっかりアツヒロに聞こえていたらしく、「そうだよな、よくないよな」と返事をされてしまった。なかなか得難い経験かと思うが、タキシードのアツヒロに向かって「七五三みたい」などと言ってしまったのもしっかり聞こえていたらしいので、アツヒロには申し訳なかったと思う。もっと夢見た乙女なファンの方が、彼的には好きかな、と。ゴメン、口悪くて。

 しかし、そんな私でも出口のところの握手では、けっこう夢モード入っていたのだよ。寛くん諸ちゃんでおなじみの、お見送り握手。かつての握手会に行ったことがない私は、淳くんあっくんとの握手は初体験であった。間近で見た彼ら。端正なアツヒロの顔とあぴあぴな淳くんの笑顔にすっかりあてられて、メロメロになってしまった。

 ディナーショーは高いから、来年あってももう行かないと決心していたのに。
 すでにこの段階でその決意はかなり揺らいでいたのだ。
 そしてこの翌日の晃で……。
                          以下、次号(笑)




98/03/29 お菓子とお料理
3/23〜27 おしゃべりクッキング出演
 私はあまりテレビを見ない。いちばん最近に見ていた連続ドラマが「砂の城」で、単発ドラマが「痛快!バツイチ・トリオ 女だけの便利屋奮闘記」。バラエティはとんねるずのエアロビのヤツで、他には「晴れたら」と「カンジャニ」だ、と言えば、何を基準に見ているかおわかりいただけると思う(笑)

 一方、私は料理とかお菓子づくりなんかがけっこう好きだ。このジャンルは、一通りの定番モノというのがあるにはあるのだが、やはり個人で覚えているものなどはたかがしれている。だから常に、雑誌やテレビなどにアンテナを張って新しい情報やヒントを探していないと、同じメニューの繰り返しになってしまう。テレビなんかは毎日でも料理番組があるのだからちゃんとチェックしていればそれなりにおもしろいのだろうが、いかんせん、根が怠け者のは私はそれすらしない。ましてやこまめに雑誌をあたるなんてこと、するわけがないのだった。

 このジレンマを一石二鳥に解決してくれるのが、「メンバーが料理番組に出る」こと。前に内海が料理番組に出たときも喜んだし、あの時のカレーは私のレパートリーにしっかり入れさせてもらったが、今回、淳くんが5日も連続で出てくれた。しかも、寛くんが「夕食バンザイ」で見せてくれたみたいな超簡単メニューではなく、それなりに手のかかった普通のご飯もの。いやもう、これを待っていたのよ〜(笑)
 というわけで、しっかりチェックはしたものの……うちにはカニ缶なんて高級品は常備してないのだよ、淳くん(^^;) 何せ「ステーキカレー」のステーキを抜く女だ、私は(^^;) おまけにケーキも目分量で適当に焼くのだな(^^;) こないだ作ったブラウニーをお友達がいたく気に入ってリクエストしてくれたのだが、よく考えたら私はそのレシピを覚えていないのだった…………ゴメン(^^;) 近いモノになるようにするから許してね(^^;)>某氏
 そんなわけで、多少淳くんが作ったのとは変わってしまうかもしれないが、おいおいあの5品にはチャレンジしてみようと思っている。手順も完成品もテレビで流れたからあんまり意味ないかもしれないが、できあがったらまたお菓子とお料理のページにアップしますので、見てくださいね。
(ちなみに、今日の更新で「光なロールケーキ」をあげました。よければ見てね)

 しかし、淳くんは可愛かったね〜(*^^*) 髪型も今とってもまとまってていいし、可愛い系のお洋服がとてもよく似合ってた(笑) いいのか男26歳、あれで(笑)
 さすがにアウトドアな人だけあって手先も器用だし、見てて危なげなくてよかったよ。手つきもいいしね。
 ただ、口にもの入れたまましゃべったのが何回かあったのが気になったなあ。ちょっとお行儀悪いぞ。食べてる姿って(テレビで見てるとよけいに)その人の品みたいのが出るから、気をつけて欲しいものだと思う。

 なんにせよ、私の好きなジャンル(笑)に、好きな人(笑)が出たのだ。ありがたやありがたや。
 これで誰かが料理番組のレギュラーなんぞ持ってくれたりすると、うちのごはんのレパートリーも増えるのだがねえ。
 お料理好きだって言ってた内海さんあたり、どうかねひとつ。いつまでもジュニアの番組の司会じゃあ、しょーがないだろうが。←いざ続投が決まると欲が出て来るなあ……(^^;)



98/03/23 交通安全市民のつどい
3/21 東大和市一日警察署長
「ヒガシヤマトシってどこにあるの!?」
 友達からの連絡への私の反応はまずそれだった(東大和市の方、すいません(^^;))
 淳くんが一日警察署長をするという。なんで縁もゆかりもない(だろう)東大和市なのかは謎だが、生の姿が見れるのだからとてもありがたい。なんたって、ANN CALLも少年隊宝塚もうるるん公録も逃した私は、夏の京都以来、生淳くんに会ってないからね。
 しかし、「生淳くん、しかも制服!」と叫んだ私は、友達にかなり笑われてしまった……(^^;)

 映像やステージ上の彼は、あの素晴らしい笑顔のせいか、どちらかというと「可愛い」という印象の方が強い。だが生で、しかもこういうイベントで間近で見たりすると、思わず「かっこいい……」とつぶやいてしまう。今回なんて特に、白バイ警官の青の制服(!)だったから、かっこよさ倍増。ウエストと腰と足が細くて細くて、制服のズボンがぶかぶかだったのだが、それでもぴしっと背筋を伸ばして歩いている様はかっこいいのだった。
 駅から市役所までのパレードの間(淳くんは真っ赤なオープンカーの上)、公民館入り口に並んでいる時(ほんの1メートル向こうを歩いていった!)、「交通安全市民のつどい」の最中(壇上で座ってる)と、いろんな姿を見ながら、「東大和市の皆さん、呼んでくれてありがとう」と心の中でお礼の言葉をかみしめていた。
 だってねえ、市の行事だったから偉い人の挨拶なんかもあったんだけど、みんな淳くんのネタを振ってくれるのよ。それにまた淳くんが応じてくれたのだな。
 警察署長さんが「山本さんも、朝早くて眠いけど頑張りますと言ってくださって……」って言うと、淳くんは苦笑いしてる。昔丸の内警察にいたという警察の人が「丸の内署の裏手にニッポン放送があって、タレントさんを車で追いかける危ないことをする方がいて……」と話すと、君らだろうというふうに淳くんは会場を指さしで眺め渡す。市長さんのとても愉快な挨拶の時は、手のひらを膝上で上向きにして振り、拍手を煽ったりする。淳くんの隣に座っていたおじさんなんて、緞帳が降りる間際、彼の手を取ってバイバイと振ってくれたりした。
 しきたりでがちがちの固い行事ではなかったというせいもあるのだろうが、おじさんたちがみんな淳くんをかまってくれて、この日の主役は文句なく彼だった。そんな一事が無性に嬉しいファン心理。淳くん自身も可愛くてかっこいいしねえ。

 しかし、やっぱり一応本来は子供向きのイベントなのだったのだろう。
 「交通安全教室」というのがはじまり、司会のお姉さん(警察の総務の人)が連れてきたのは、サルの着ぐるみ「もんちゃん」。サルという段階で、すでに会場は笑いに包まれていたのだが、このやりとりがとても子供向け。 「もんちゃん、今日はたくさんの、おと……方々が来てくれて〜」。お姉さん、いつもはきっと「おともだち」って繋がるんだね。なんだか言いづらそうに「方々」とか「皆さん方」と言っていた。ごめんね、大きいお友達ばかりで。「道に飛び出さないように」という歩行者向けのオハナシをしていたが、どっちかというと「車の運転には注意して」という話の方が客層にはあっていたかもしれない。
 おみやげは「びっくりまん紙袋」入りの大量のチョコパイと板チョコとチョコビスケットだったしねぇ。一応NTTのクリアファイルとかISDNの宣伝チラシとかも入っていたが、明らかに対象は小学生くらいだったのだろう。東大和市の皆さん、お騒がせしてごめんなさい(^^;)

 ただ、動機は何であれ、交通安全のことを気にしはじめたのは確かだ。特に私はいま車の免許を取るべく教習所に通っているので、速度40キロなり60キロなりでぶつかるとこれだけ車がひしゃげますという落下衝撃実験(クレーンで車を該当高さまで持ち上げ、落下させる)は、かなり印象的だった。講義で理屈は知ってても、実際にはなかなか見られないものだし、目の前で車の鼻面が見事にぺしゃんこになるのはやっぱ衝撃的体験。安全運転には充分に配慮しましょうという殊勝な気持ちになった。
 そうなのだ。たとえ話題作りであろうと何だろうと、人が集まってさえしまえそれなりの効果はある。その人たちの当初の目的がどうであれ、話を聞き、体験すれば、心のどこかには残るものだ。ましてや目的の人が「交通安全には気をつけてね」なんて一言でも言ってくれたりしたら、それはもう。東大和市のイベントも、そういう意味では成功だったろう。
 まあね、「市民のつどい」だったのに、市民じゃない人の割合の方が多そうだったってあたりは、問題かもしれないけどね(^^;)

 だから何かというと、こういうイベントがまたあるとオイシイなあというお話。
 何かのイベントの広報なり責任者の方、機会があったらまたうちの子たちを使ってやってください。できれば、歌と踊りのできるイベントで。集客力は保証付きよ。なにせ光Gファン、ナンシー関さんにも「しつこい」と言われたくらいだから。




98/03/03 氷のかまくら
2/28 晴れたらイイねッ!で氷のかまくら作り
 「晴れたらイイねッ!」というと未だに思い出すエピソードがひとつある。
 まだこんなに光GENJIファンになってなかった頃のこと。私をこの道(笑)に引っ張り込んだお師匠様である友人の家に遊びに行った時、たまたまつけたテレビの番組でネイティブアメリカンのテントが紹介されていた。「ああ、そういや淳くんが晴れたらで昔これ作ってたよねえ」と何気なく私が言うと、彼女はすかさずニコリと笑い、「そうやって何でもメンバーに結びつけて考えるのは、ファンの第一歩なんですよ」。
 違うもん、別にファンなわけじゃないもん!と言いながら、彼女の家でさんざん昔の雑誌の記事やら何やら見せてもらっていたのだから言動不一致ここにきわまり、という感じだが(笑)、まあ、当時の私はまだまだ無駄な抵抗をしていたということだな。

 晴れたらのおかげで、いろいろなことを知った。雪合戦の大会があることも知らなかったし、アウトドアの基本もだいぶ分かってきた気がする。淳くんが出てるから、というそれだけの理由で、彼の出てる回しか見なかったりする不真面目な視聴者であるが(^^;)、少なくとも淳くんがいなかったら見ようという気にすらならなかった番組だ。徹底的にインドアだからな、私。一日中、家から一歩も外に出なくても全然平気だもん。
 あ、ちなみに内海が出ていた頃は見てません。まだファンじゃなかったから(笑)

 何かの折りに氷のかまくらを見たら、また淳くんを思い出すんだろうな。髪が氷でぱりぱりになって、何だか情けないような笑顔を浮かべていたところ、とても26歳になった(まあ収録当時は25だけど)人とは思えないくらいに可愛かったよ(笑)
 お誕生日、おめでとう。その日に顔を見られて、とっても嬉しかった。
 どうせなら、かまくらの中で木佐ちゃんたちにお祝いしてもらえたらよかったのにね(笑)


98/01/27 砂漠の民
1/25 「世界ウルルン紀行」出演
 たかだか1週間の滞在だ。しかも、たぶん彼らは日本という国が世界地図のどの当たりにあるのか、どんな国なのかすら知らないだろう。テレビを見る習慣だってないだろうから、取材だと言ってもなかなか理解できないに違いない。
 それなのに、砂漠に住む人たちのなんと優しいことか。
 ヤマモトが暑さにばててバターライスを食べられないと見るや、穀物のおかゆを作ってくれる。わざわざバター少な目のご飯にしてくれる。客人のためにと羊をさばいてレバーの塩ゆでを食べさせてくれる。何もない砂漠を見たいと言えば、丸1日かかる遠くまで連れていってくれて、360度の砂漠を見せてくれる。客人をもてなす「心」が、随所にあふれていた。
 「物を持たない」贅沢。「心を大切にする」気高さ。
 淳くんとともに、私たちは彼らのそんな心に触れられた気がする。

 相変わらず、淳くんは遙か遠い地でも笑顔で頑張っていた。彼のひたむきさ、優しさが、よりいっそう砂漠の人々の心を引き出すことに成功したのだと思う。
 もちろん、テレビ用に事前にある程度のシナリオはあっただろうが、それでも、彼らの心からの笑顔は、淳くんに向けられたものだった。もともとの彼らの資質というのももちろんだろうが、「淳くんだから」そこまでしてくれた、というのも、間違いではないだろう。
 だって、妹さんが淳くんに惚れるなんてエピソードは、事前に予測しようがないもんね(笑)

 「楽しい笑顔が人を幸せにする」
 お父さんの笑顔を評して、淳くんが言った言葉だ。そうだね、淳くん。その通りだと思うよ。砂の大地に根を下ろしたお父さんの、心からの笑顔は、本当に素晴らしかった。
 でも、お父さんのその笑顔を引き出したのは、キミの満面の笑みだったのだと、私は思うよ。
 だから、この言葉はそのままキミにも返すね。
 いつまでも、その笑顔で私たちを幸せにしてください。

 それにしても、最後に淳くんが貰っていた、お父さんちの家宝だというポット。なんだか唐突に出てきたなあと思っていたら、実は砂漠の人たちはこのポットでお茶を飲むことを楽しみにしていて、淳くんも一緒にお茶しているシーンがVTRにはあったらしい。公録に行った方に教えていただいた。
 そんな最後への伏線になる重要なシーンを放映から削るなんて、どーゆーことかしら。もしちゃんと残っていたら、最後のシーンはもっと感動できたのに。もったいないなあ。
 まあ、あれでも十分泣けたけどね(^^;)




98/01/22 心の地層
1/21 「タモリのネタでフィーバー」出演
 「『全員集合』見てましたよー」でも、「小野さんてバンドやってらしたんですね」でもなく、「自分らもメンバーと何年も経ってからああいうふうに腹割って話せるのな、って思って」と、淳くんは言った。

 かつて同じコミックバンドでお仕事をしていた小野やすしさんとジャイアント吉田さん。今となっては互いの境遇もずいぶんと違うだろうに、絶妙な間と呼吸で、久しぶりだろうと思われるトークを繰り広げた。笑いを取る番組だからよけいにそういうふうに作っていたのだろうが、ふたりの間に齟齬はない。淳くんが言うように、本当に仲が良さそうに見えた。
 いや、「仲がいい」というのとは、ちょっと違うかもしれない。ことさらに懐かしそうにしたり、互いに気を使ったりせず、ほんとに普通の会話のようだ。昨日まで一緒に活動していて、その続きで今日も来たんだよーという雰囲気の、気のあった仲間同士。そんな印象を受けた。「仲がいい」という一言で片づけられない何かがあった。

 共に仕事をしたというのは、共に成長したということだ。一緒に考え、一緒に行動し、一緒に問題にあたり、一緒に解決する。上手く出来たら一緒に喜び、失敗したら一緒に反省する。ひとつのものを生みだし、育て、花を咲かせて実らせる課程で、連帯感とも友情とも言えない「核」みたいなものができあがる。実った果実とはまた別に、それは関わった全員の心に、確実に根付くものだろう。
 意見の対立もあるし、憎み合うことも、許し合うこともある。そんな様々な葛藤の中で育っていった核は、年月に色あせることはない。鮮やかな色彩に覆われて心の中の綺麗な小箱にきちんとおさめられることもあるが、それよりももっと強い核の場合は、ことさらに意識しなくてもその人の根元をなすものとして、いつまでも心の地層に積み重なっているのだ。

 敦啓は、ジャニーズファミリー総集合(一応)の宝塚ラスト公演で、自分の名前と共に「光GENJI」の文字を書いたという。諸はよくメンバーの名前を出すし、寛くんも最近は昔の話をしてくれるようになった。晃はA&Aスペシャル企画でとろけるような顔をし、内海はひとりでも光GENJIだ。樹生は……まあ、彼の場合、ちょっと事情が特殊だからね(^^;)
 そして淳くんは、小野さんたちを見て、メンバーを思いだした。
 つまり、そういうことだ。

 何年後か何十年後か知らないが、待っていたら、きっと。



97/12/07 温泉
12/06 「晴れたらイイねッ!」 で温泉を掘る。
 こないだのラジオで淳くんが言っていたという「温泉堀り」。いったいどんなんじゃいと思っていたら、土曜日の「晴れたら」で放映された。文字通り、温泉地の河原で、自力で温泉を掘っていた。
 とは言っても、さすがに源泉を掘り当てるわけではない。河原を掘って池状のものを作り、わき出ている源泉を引き込んで最後にみんなでつかるという格好だ。それでも、ごろごろした岩場を50センチ近く掘り下げるのはけっこう大変そうだった。

 ああいう温泉地の源泉にはちゃんと、所有権というか著作権というか、まあ元湯権みたいなものがあるはずだ。だから、素人が勝手に行って、勝手に掘っていいというものではないだろう。個人で楽しむだけならいいのかもしれないけど(なんか著作権の注意書きみたいだ)。こんなことが気になってしまうのは、職業柄ってヤツか(^^;)
 今回は、テレビの取材だったから、淳くんは自力で作ったお風呂にお風呂に入れた。取材が終わってから、ちゃんと元に戻したとは思うけど、それでもなかなか個人でそこまでやるのは難しい。そこまでの根性がないのが普通というのもあるが、何よりも「取材」という言葉が大きな免罪符になる。「テレビの取材です」というと、普通に生活してるだけでは知ることができないようなことまで、見たり聞いたり突っ込んで体験したりできるのだ。
 淳くんは、まさにその王道を行っていると言っていいだろう。「晴れたら」ももちろんだが、「うるるん」にしろ「世界紀行(だっけ?オランウータン抱いてた番組)」にしろ、個人で体験するのは困難だろうと思われることばかりしている。テレビ人の特権をフルに活用してる(?)のだ。

 その経験が、彼の中でプラスの方向に積もっていけばいいなあと思う。今のところ、ジョイコンでアフリカの歌を披露してくれる、というふうに、まさにプラスに流れている。彼のことだ、この先もきっと大丈夫。信じてるからね、淳くん(笑)

 うまく掘れる場所を探してキャンプをしてる淳くんたちが、とれたての大根でふろふきを作っていた。ほんとにおいしそうに食べる淳くんを見た夜、うちの晩御飯はふろふき大根だった。
 サハラでも彼は、何かをおいしそうに食べるだろう。手に入りやすい食材だといいなあ。




97/11/20 ご褒美
11/15サタデーホットリクエスト(ラジオ)出演
 CDラジカセデッキというものを、私はしばらく持っていなかった。自宅で音楽を聞くという習慣があまりなかったからだ。せいぜい通勤途中にウォークマン(カセットorCD)する程度。かつてチェッカーズは、すべてそうしてクリアしていた(笑)
 しかし、光GENJIファンになってからは、そういうわけにもいかなくなった。自分で編集したり、その他いろいろと(笑)必要性が出てきたのだ。意を決して新調したのは1年くらい前。覚悟が必要なほどの値段ではなかったが、もともとが貧乏性なので、けっこう勇気がいったのだった。
 CD付きでダブルカセットなのはもちろん、「メンバーがラジオやる時のために」と、予約録音ができるタイプにした。だがしかし、前に住んでいたウチは高速沿いで電波状況がきわめて悪く、かつての晃チャットで馴染み深い(笑)BAY-FMはもちろん、AMですらろくに入らない。第一、首都圏でラジオレギュラー持ってくれた人がいなかった(^^;) ああ、無情。

 で、長い前振りのあと、淳くんである。土曜日にNHK-FMにゲスト出演するという。引っ越しもしたし、チューニングはまあまあOK。やっとラジカセくんの出番!……と張り切って予約設定して出かけたらば。
 録れてなかったのよぉ(^^;)
 初めての予約チャレンジだったから、何か設定を間違えたらしい。うきうき帰ってテープ聞いたら、ザーザーという雑音ばかり。うわーん、現地に行けばよかったよぉぉ。淳く〜ん(^^;)(^^;)(^^;)

 しかし、インターネット&お友達ネットというのはありがたいもので、彼がどんなことを言ったか、何をしたかはだいたい教えていただけた。ありがたいことだ。
 淳くんはこのあと、サハラ砂漠に行くらしい(もう行ったか)。そのあとすぐ、インドネシア。またまた人があんまり行かない場所で、番組ロケだとか。すごいなあ、世界をまたにかけるアイドルだよ(^^;)

 マサイ族に会ったときも、ペルーに行ったときも、淳くんはあの笑顔で現地の人に溶け込んでいた。「晴れたら」でカナダの川下りをしたときの映像を見ると、なにやら神聖な気さえする。どこまでも深い大自然に囲まれ、きらきらした太陽の下にいるとき、彼はほんとうに「綺麗」だ。魂まで透明になっているように見える。
 淳くんのすごいところは、それをファンの私たちにも伝えてくれることだと思う。言葉がどうとかではなくもっと深いところで、彼の感じた諸々が、画面を通して伝わってくるのだ。年に数回しか見られないと言うオーロラが彼らの前に姿を現したのも、きっとそんな淳くんに対する神様のご褒美だったんだね。
 いやまあ、ファンの欲目と言われてしまうと返す言葉もないのだが(笑)

 淳くんは、もうサハラに着いただろう。広い広い砂の海で、また「綺麗」になっているに違いない。そうして、今までの海外のお仕事のように、一回りも二周りも成長して帰ってきてくれるのだ。早くその映像を見たいものだと思う。インドネシアも大変だけど、体調に注意して、頑張ってお仕事してきてね!

 歌って踊るナマ淳くんにも会うというご褒美を、私も欲しいモノだ。ラジオ予約も失敗するなんて、神様に睨まれているとしか思えない。いや、単に自分がおーばかなだけなんだけどね(^^;)




97/08/19 Kyo to kyo
 日曜日に諸ちゃん日比谷野音で壊れ、月曜日に淳くん京都で溶けてきた。晃コンに始まって樹生から諸ちゃんから余韻に浸る暇もなく次々と彼らの映像が入れ替わるため、何だか記憶がもったいない気がしてならない(笑) 短期間にたくさんのイベントがあると、嬉しいけど、こういう弊害があるのね(笑)
 さて、淳くんである。どんな演目なのか、どういう構成なのか、皆目分からない状況で新幹線に乗った私を迎えてくれたのは、リニューアルオープンした灰色の巨大ぬりかべ(笑)京都駅と、淳くんの極上の笑顔であった。
 もうもうもう、かわいかったーーーーーーーーーーーーーーーーー(*^^*)
 彼の笑顔とダンスと歌の魅力というのは、言葉に表せない。表現できるくらいなら、魅力にはならないのだろう。ただもう、彼がにこーーーと笑ってくれると、ほわーーんとこっちまで幸せになれるのだ。
 初回、淳くんは多少ぎこちなかった。本人も言っていたが、約1年ぶりのコンサート、きっとあがっていたのだろう。客席も、慣れない会場と初めての形態でどうやってノレばいいのか判断がつきかね、少し固まっていたし。でも、回を重ねるごとに本人も客も勝手が分かってきて、5部などもう、会場が壊れるかと思うくらい盛り上がっていた。「絶対に立っちゃダメ」という規則がほんとーーーに惜しい! あんなダンサブルなノリだったのに、立って踊れないのは辛かったーーー(^^;)

 淳くんは、冬にライブをやりたいと言ってくれた。客席からの振りに答えて、これからCDやファンクラブも作りたいとも言ってくれた。すべてが実現できるかどうかはわからないけれど、少なくてもそういう風な活動をしたいということを、ファンに向かってアピールしてくれたのだ。
 いつもそうやって前向きに話してくれる淳くん。それだけで、ファンは安心する。実現するために応援するんだ!って根性が座るのだ。たとえば彼が「アウトドアしかやりたくない」って思ってるんだとしたら、ファンとしては「歌って欲しい」と言いづらいもん。言うけどさ、きっと(笑)
 だから、淳くんの相変わらずのキレのいいダンスと、さらに深みを増した歌声とを堪能できたのも嬉しかったが、その言葉が聞けたのも、すごくよかったと思う。この先、応援しがいがあるもんね。
 ありがとう、淳くん。約束のCDとコンサート、待ってるから。冬のライブも早く決めてね。実現できるように頑張って応援するから、淳くんもそれに向けてあちこちの調整、頼んだよ!(笑)

内海京都のお楽しみをそがないために(笑)、あえて抽象的な表現にしました。この書き方なら、ネタバレにならないよね?(^^;)


97/08/12 笑顔
 「何があっても、淳くんに目の前でにこーって笑われたら、すべて許しちゃうよねー」ってのが、私の友達間での合い言葉である。なんだかんだとさんざん言うのだが、最後は「やっぱかわいいーーー(*^^*)」で終わる。ほんとにもう、私ら終わってる(笑)
 この間の宮古島の『晴れたら』も、淳くんが映った瞬間、「かわいい……」と呟いていた。いい年した女が自室でひとり、テレビ見ながら言うせりふとしては、かなりコワイ。コワイが、真実なので仕方がない。それほど、淳くんの笑顔は強烈なのだ。
 その笑顔のナマに、もうじき会える。あと1週間もしないうちに、私は京都にいて、ナマ淳くんを見るのだ。
 かつてSAY'Sコンの時、始まる前会場で「バンジーがいたらどうしよう!」と叫んだ伝説を持つ山本ファンの友人がいるのだが、いまはちょっと、彼女の気持ちも分かる気がする。その時同行していた別な友人は「そりゃいますよ」と切り返したというが、ナマ笑顔を見られると思うと、確かに「どうしよう」という気にもなる。こういう揺れる心にまた、淳くんの笑顔が染み通るんだよなあ(笑)

 騙されてる……と思うことも時々あるのだが(笑)、それでもやっぱり「笑顔」という最終兵器は無敵だ。本人の「幸せ」が、周囲にまで伝染してくる気がする。
 京都で彼は、どんな幸せを見せてくれるのだろうか。

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