97正月・帰省

急行「銀河」で大阪へ

 大晦日の夜に出発。まだ浅い時間なのに街に人けが少ない。
 急行「銀河」は東京駅夜11時発。9時に家を出るつもりが9時20分になってしまい、少々あわてる。結局、10時40分頃東京駅到着。やれやれ。

 「銀河」の車両は24系25型(*1)。特急と遜色ない。牽引機はEF65PF。
 私の寝台は5号車12番上。11番上は若いのかオジサンなのか不明の男性(ボテボテ系)。下段は関西弁の女の子二人(東京観光帰りらしい)。皆早々と就寝体勢。車内放送も、最初の放送が「おやすみ放送」。私も床につく。

 出発してしばらくは品川、横浜、大船と小刻みに停車するが、やがて停車駅も減り、快調な走りも特急と遜色ない。この時間、東海道線は「銀河」のものである。(*2)

 うつらうつらするうち、列車は米原を過ぎ、車内灯が再び灯って「おはよう放送」。6時過ぎだ。「みなさま、明けましておめでとうございます…」そういえば元日である。「濃霧のため多少遅れて運転しております」。
 外はまだ暗いが街灯がにじんで見える。機関車は長く尾を引く警笛を盛んに鳴らしている。やがて外は明るくなったが、なるほど、時折濃霧で視界が利かなくなる

 207系、221系、阪急電車…。いろいろな車両と併走するが、電車というのは何となくセカセカ走っているように見えるものだ。ゆったり走る客車列車が格上に思えてくるから不思議である。

  結局10分ほど遅れて大阪に到着。

(*1)寝台特急用の標準型。寝台は2段式。
(*2)「さくら」「富士」などの特急はもっと早い時間に出ているので、この時間は西の彼方である。


スーパーはくと

「銀河」を下車、隣のホームに移るとほぼ同時に宇宙船のような形のディーゼルカーがやってきた。「スーパーはくと1号」である。
 外観はSF的だが室内はおちついた感じで悪くない。枕カバーに「智頭急行」の文字。JRの車両ではないらしい。

 グルルルル…とエンジンを鳴らして発進。ドドドドド…。お、本気で加速すると結構速いじゃん。よく回るエンジンだねえ。ターボつきだね。
 ドドドド…るるるるる…ズドドドド…。な、なにぃっ!変速機付きかぁっ?
 おおっ、エンジンブレーキまで効くじゃないか。(ひゅーん、ととととと…)
 こういう機敏な列車、これはこれでおもしろい。
 さらにサービスのいいことに、銭湯(*1)にテレビカメラがついているらしく、車室前後の壁に前方の様子が映る。退屈しなくていい。「白兎おねいさん」(*2)がいないのが少し残念だけど。

Super Hakuto
  ↑スーパーはくと(姫路駅にて)

 車窓はいつしか大阪から神戸へ。はっきりそれとわかる痕跡は見えないが、ところどころ町並みが妙に新しい。きっとこれがそれなのだろう。
 明石を過ぎると農地も目立つようになる。スプロールの見本のようにブロック状に分布する住宅群は、新しく見えるものほど一区画が小さく、建物もチャチに見える。正直でよろしい。(*3)

(*1)誤変換である。面白いのでそのままにしてみた。(^-^)
(*2)耳が天井につかえることだろう。(^^)
 (特急「つばめ」のおねいさんが大変よろしい、という話題がFCEHMで出ていたのである)
(*3)よろしくない、よろしくない。^^;


各駅停車で広島へ

 姫路で「スーパーはくと」を下車、糸崎行き各停に乗り継ぐ。この電車、標準色の115系(*1)だが、車端部はロングシート(*2)化され、シート地も張り替えられている。グレー系のあまり趣味のよくない色。さらに一人分ずつ凸凹がつけられている。残念ながら、座り心地はよくない。

 糸崎から岩国行き快速。車内の会話がだんだん聞き慣れたことばに変わって行く(*3)。115系3000番台(*4)。背もたれの直立したクロスシートほどは尻が痛くならない。上下左右にガクンガクンとよく揺れる。車両はこっちの方が新しいはずだから、きっと線路に責任があるのだろう。広島着は12時44分。

(*1)日本中で見かける3扉の電車。
 細かいことをいうと、直流専用の初期型が111系、パワーアップ型が113系、
 勾配区間用(ブレーキ等が違う)が115系。交流・直流両用は400番台の形式名になっている。
 「標準色」とは緑とオレンジの「みかん山」色のこと。
(*2)窓に背を向けて座る形の座席が「ロングシート」。いわゆるボックス型は「クロスシート」。
(*3)私の母が山口県出身。
(*4)115系を名乗っているが、車体は2扉、座席は転換クロスシート。
 つまり一部の特急のように背もたれに傾斜がつき、バッタンと動いて向きが変わる方式。


広島にて(1)

 さて広島である。今回の道草は、広島で市内観光&宮島初詣にするつもりである。なお私は、宮島には行ったことがあるが広島は初めてである。

 駅弁「もぐり鮨」を仕入れ、駅前の噴水のふちに腰掛けて食べるという、観光客のようなことをやってから(*1)、市内交通案内板を眺めて考えることしばし。
 まず市電(*2)で紙屋町へ。そこから歩いて広島城へ。築城400年とかで門や塀、天守閣は再建され、美しい姿を見せている。また○○跡の礎石などもよく残され、整備された史跡公園になっている。濠や石垣も美しい。
 構内に「護国神社」なる神社があり、初詣の人でにぎわっている。護国神社ということは「武運長久」であろう。私はそんなものを祈る気はないので素通りする。(*3)

Hiroshima Castle Park

広島城祉公園にて

(*1)いいんだよっ。本当に観光客なんだからっ。(^^)
(*2)市電といっても市営ではなく、広島電鉄である。
(*3)宮島の厳島神社も「武運長久」であることに気づいたのはだいぶ後である。^^;;



広島にて(2)

A-dome(right)A-dome(left)

原爆ドームと太田川
(立体写真になっています。右目で右の写真を、左目で左の写真を見て下さい)

 平和記念公園を少し歩いた。平和を祈る子像、平和を祈る梵鐘....。市街の中心部にこれほどの面積を割いて「平和」を訴える街、広島。単純な「武運長久」に興味はないけど、ここの護国神社になら詣でておけばよかったかも、と少し後悔した。

 再び市電で宮島口へ。西広島までは道路を走る「市内線」、その先は専用軌条の「宮島線」。
 宮島線に入ると電車はスピードアップするが、急にゆれがひどくなる。左右にがくがくと首を振るようにして力走。一番前の席で居眠りをしていたら座席から転げ落ちて目が覚めた。^^;
 原爆ドーム前から宮島口まで約1時間。もはやタイムリミットである。海のこちらから宮島の鳥居を拝み、よしとする。広島駅に戻って山陽本線を使えば島に渡るぐらいできたものを....。
 いや、宮島は諦めて護国神社に行っておけばちゃんと初詣が....。^^;;

 城を出、歩いて太田川べりへ。「都市計画」の講義に出てきた「親水護岸」だ。水辺の日溜まりにアベック。この親水護岸は平和記念公園まで続いている。原爆ドームの前では寒中水泳大会の人々がいた。

 初めて見る原爆ドームは3階建ての小さなビルである。被災前の姿や、一瞬にしてこの姿になったことを想像するのは、悔しいが私の想像力では力が及ばない。


広島から熊本へ

 宮島口から115系で下関へ。この車は座席配置が原型のまま。車端部のクロスシートで居眠りをしているうちに外は暗くなり、マンガを読んでいるうちに下関へ。
 415系(*1)に乗り換え、関門トンネルへ。これといった感慨もなくトンネルを抜け、小倉へ。

 小倉から博多へは「ソニックにちりん50号」。時刻表には「ソニック型車両」と書いてある。何だ、それ?
 やがてやってきた電車は「つばめ」に似た「アライグマ君顔」。ただし色が…。ドラえもん色。というか、「ビニコートを貼ったままのステンレス色。」(*2)

 内装もおもちゃみたいで落ち着かない。よく見ると妙なのは座席だけなんだけどね。ロボットっぽいグレーメタの座席フレームにケバい色のクッション、「浦安ネズミ」のような形のヘッドレスト。でも座り心地はよい。

 45分ほどで博多へ。階段をダッシュし、隣のホームで待つ「ありあけ31号」に乗り換える。車両はハイパーサルーン(*3)。上熊本で下車、まもなく父が迎えに来てくれた。

(*1)ロングシート。
(*2)まさかホントにそうじゃないだろうな。(^^)
(*3)民営化後間もなくJR九州が作った特急電車。これといって変わったところはない、普通のよい車両。


復路・阿蘇山横断

 1月6日朝。出勤する父に回り道してもらって上熊本駅へ。8時16分、「つばめ1号」。デッキに立ったままひと駅、熊本駅着。雪がちらついている。

 熊本からはキハ185系(*1)「あそ1号」。細かく停車しながら急勾配を登り、阿蘇山中へ。久しぶりにまっとうな時間に起きたので非常に眠いのだが、前の席のきれいなおねいさんが気になって眠れない(*2)。^^;
 立野駅って、いまでもスイッチバック(*3)なんだね。ああ、さっき登ってきた線路があんなに下に…。よくこんなところに鉄道を敷いたものだ。立野を過ぎて、景色が白っぽくなってきた。

 広大な火口原を走り、再びトルコンを唸らせて(*4)、恐ろしげに切り立った外輪山に這いあがる。木の枝が窓を擦って行く。痛そうである。ついに長いトンネル。
 山を下り始めると急に停車駅が少なくなった。ずいぶん下って豊後竹田。急に混む。石垣を探したが見つけられなかった。(*5) 急勾配を下る。だんだん景色がひらけて行く。いつの間にか雪はやみ、ポカポカいい天気。
 居眠りして目が覚めると大分。お客さんの大半は下車してしまうが、快適なのでこのまま終点別府まで乗ることにする。お、海だ。

(*1)もともとJR四国が作ったものを後にJR九州が買ったものだそうだ。
(*2)なんかいい匂いがするし。
(*3)急勾配にジグザグに線路を敷く方式。列車は向きを変えながら走る。
(*4)実際には唸っているのはエンジンである。
(*5)土井晩翠。


門司港へ

 ああ、やっぱり。混んでいる(*1)。 別府に4分遅れで到着した「にちりん20号」は真っ赤な485系。自由席は8割がたの席が埋まっている。むさいにいちゃんに声をかけ、隣に座る。(*2)
 次の亀川で女の子二人組が下りたので、すかさず移動。
 電車なので静かだが、「あそ」よりよく揺れる。車両が古いから仕方ないのかもしれない。(*3)

 行橋あたりから晴れていた空が曇り、再び雪が降り始める。小倉で下車。
 門司港行きはステンレス車体の415系ロングシート車。線路は複線である。この区間がかつて幹線の一部であった名残であろう。(*4)

(*1)大分の時点で悪い予感はしたんだ。^^;;;
(*2)こういう場合、美人の隣に座るというのが私はどうしてもできない。(;_;)
(*3)設計が古いせいなら仕方ないけど、へたっているせいなら残念だ。
(*4)関門トンネル開通まで、下関から連絡船が門司港まで走っていた。
 すなわち、門司港は本州に向かって開かれた九州の玄関であった。


門司港周辺

Mojikou station
↑門司港駅正面

 和布刈(めかり)公園がそう遠くないようだから、ブラブラ散歩してみよう。そういえば初詣をしていないから、和布刈神社にも寄っておこう。

 古い建物を眺めながら歩く。大きな建物は少ない。そしてそれらの多くが現役である。
 関門トンネル(車道)の入口なども眺めながら20分ぐらい歩いただろうか、関門橋の下へ出た。和布刈神社に寄り、おくればせながら初もうで。
 関門トンネル入口(人道)がある。しんと静まり返り、人の出入りがあるようには見えない。いまや利用する人は少ないのだろう。
 本州がすぐそこに見えている。しかし潮の流れは見るからに速い。近くて遠い。

 階段を上がって行くと展望台があり、さらに歩くと、なんと高速道路のめかりPAに出てしまった。意外なことに戸惑いつつ、歩き回ったり写真を撮ったりして下の道路に下りると、うまい具合にバスが来て、門司港駅に戻った。(*2)

 まずは駅前探検。
 この駅はご存じの通りの古い構え。駅のみならず周辺も、古い建物を観光資源として、また史料として積極的に残そうとしている。(*2)

(*1)ただ、「レトロ地区」って呼び名はちょっとなー。(^^)
 ところで、たしか長野駅って潰しちゃったんだよね。大社駅はどうしたんだっけ。
(*2)トンネルを歩いて下関に出てしまってもよかったな、と後から思う。


東京へ

 門司港駅からは811系なる電車。乗り心地はたいへん良い。
 小倉からはひかり56号。車両は100系(ヒガシヤマ型)。通路に立って広島へ。広島始発のひかり94号に乗り換える。(しまった。いつの間にか帽子をなくしているではないか!)
 ひかり94号の車両は300系(のぞみ型)。車体が軽いのでうるさいとか揺れるとか聞いたことがあるが、ちっともそんなことはない。むしろ100系より良い気がする。読書がはかどる。

 東京駅着は23時21分。立川までの中央線は完全にヨッパライアワーであった。

 げっ。南武線が終わっている。


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