英信流とは?

無双直伝英信流の歴史

 伝承によれば、戦国時代の末期、永禄の頃。奥州の住、最上家の臣であった林崎甚助重信先生(幼名 浅野 民治丸、元服後 林崎姓を名乗る)が、楯岡在の林崎明神に参籠し神霊の加護を得て抜刀術を創案し、これを林崎夢想流と唱えた、と言います。

 この林崎夢想流を以て居合道の嚆矢(こうし)とされています。

 その後、時代を経て享保年間、道統第七代長谷川主税助英信先生が古伝の技に独自の技を加え、流名を長谷川英信流と改めました。この長谷川英信流が土佐の国、山之内藩に伝えられました。

 道統第九代林六太夫守政先生はこの長谷川英信流に大森流の正座の業を加え、ここに無双直伝英信流が生まれました。


大阪東研究会の歴史

 爾来、無双直伝英信流居合道は山之内藩不出の流儀として土佐の国に伝承されてきましたが、第十九代宗家福井春政先生は居合道の発展を発願され第二十代宗家を大阪に移すことを決意され、昭和25年4月14日、河野稔百錬先生が第二十代宗家を継承される運びとなりました。

 第二十代宗家を継承された河野稔百錬先生はその年の5月、「無双直伝英信流居合兵法指導会」を結成されましたが、これとは別に初心者向けの道場として昭和26年3月、大阪東研究会を創設されました。
 初代会長には、朝枝俊介九段が就任。その後、影山断士十段を経て、現在、飛松康廣 八段が会長を務めています。

太刀打ちの演武。刃と刃がぶつかりあう緊張の一瞬。

資料および出典
河野百錬先生 著


聞き書き
「大日本居合道図譜」 1943年10月
「無双直伝英信流居合兵法叢書」 1954年10月
「居合道真諦」 1962年3月
「影山断士先生講話」