●NIKEへの帰還 (98/04/30) カミナリオヤジ西村 第5章 アメリカ村のお店を片っ端から回って、 気付くと財布の中にあったバイト代はほとんどなくなっていました。 スニーカーの他に買い集めたのは「中古の服」だったのです。 いつのまにか「古着」という言葉も定着しましたが、 そのころは一般的には「中古」と呼ばれていました。 中古なのになぜか高いのです。(今考えると安いのですが) しかし、当時の洋服にはない何かがそこにはありました。 穴の空いているシャツやジーンズなど、 それまでの私の感覚なら捨ててしまうものなのですが、 「アメリカの香り」が私を強くひきつけたのでした。 現代モノとどこか違う。それが何かはその時はよくわかりませんでした。 しかし、名古屋に戻ってからも私は「中古の服」を買いつづけたのです。 また、こつこつとお金を貯めて、大阪まで、バスや近鉄で通いました。 ある時ふと思ったのです。 今ある洋服のほとんどの原点がここにあるのだ、と。 たまたま見たある有名デザイナーのショップで、 私が見た古着を明らかにコピーしたものを見ました。 驚きと同時に私に「本物を着よう」という気持を植え付けました。 アメリカの本物を追求していくと やはり50年代から60年代のものがピークになります。 そのつくりへの「丁寧なしごと」は当時高校生の私にもわかりました。 たしかに古着の中にはどうでもいいものが多くあります。 しかし、「これぞ芸術」と感じさせてくれるものを その中から見つけるという作業が私にはたまらない喜びとなったのです。 さて靴はといえば、完全に欧米産至上主義となった私は その中でも「ちょっと古いもの」に興味を示すようになりました。 まずはコンバースの「一つ星」(ワンスターなんて誰も言ってなかった)を 探すため、店をいくつもまわりなんとか手に入れることができました。 50年代や60年代のものも少し興味がありましたが、 私にはその時代のものはズックにしか見えなかったのです。 靴はその時代ピークにないと判断しました。 しかし、現行品にもあまり興味はなくなっていきました。 気付けばadidasも科学を始めた時代です。 しかしその分デザインをおろそかにしていったように思いました。 真剣に運動をする時はadidasを愛用していましたが、 街履きとしては、ちょっと前のものをさがしていました。 高校を卒業し、上京した私はさらに古着にはまっていきます。 本物の追求。当時はこれが私のテーマでした。 街ではIVYブームでしたが、私が追求したのは、 60年代のIVYなのです。 本当に豊かな時代のアメリカの学生が憧れだったのです。 501XXと出会い、その美しさに感動した。 ジーンズの本当の色ってのを知った。 Drizzlerのシンプルなデザインは、 当時流行していたBARACUTAもしくはFOUR CLIMBSのG−9より はるかに魅力的だった。 ビンテージ。これは当時の私にとって最も重要なことだったのです。 違う、何かが違う。 私の中で靴に対する疑問が沸き上がってきました。 着ているものは50年代、60年代の古着なのに、 靴が70年代、80年代なのです。 パーツとして靴を見るとたしかにその時代のものがいい。 しかし、トータルで見た時にどうしてもアンバランスなのです。 私が本当に憧れた時代の靴をはいた方がいいんじゃないか。 501XXにはやはりその時代の靴だろう・・・ そういう思いで一度は否定したズックを探し始めました。 キャンバスが中心です。 US-Keds、BALL-BAND、BF.Goodrich、古いCONVERSE... 特に好きだったのはやはりBALL-BANDだったんです。 22歳の夏生まれて始めて飛行機にのりました。 いきなりサンフランシスコ行。 かなりの借金をして、ロサンゼルスも回ってきました。 とにかく古着は安かったんです。 日本の値段は何だったんだろうという驚きの連続でした。 (今では日本の方が安いんですが) ひたすらお店をまわり、倉庫まで見せてもらったりで、 相当な量の古着とキャンバスシューズを買い込みました。 何しろその時の借金の返済が終わったのは28歳でしたから。 英語もろくに話せない私は必死で話をしました。 あんまり通じませんでした。 しかし、お店の人はみんな親切でした。 また街を歩いていると古着を着たアメリカ人からも よく声をかけられました。 アメリカでも古着を着ている人はかなり少なかったからです。 そんなの日本に売ってるのか?って感じで。 私の服装をみんな誉めてくれました。 そんなことで夕食をごちそうになったり、 知り合いの店までクルマにのせて連れていってもらったりで とにかく楽しかったです。 その時の会話で非常に印象的だったのは、 服装だけを統一してちゃいけないんだってことです。 生活そのものを追求しなきゃ一人前にはなれないってことを みんな言っていました。 それが私がよく言う「スタイル」の原点だったのでしょう。 さてそれからの私はもう、ビンテージ以外は否定していました。 割愛しちゃいましたが、正直言って、そこまで行く過程において サーファーっぽいものマリーンっぽいものやプレッピーっぽいものに 多少浮気したこともあったのです。 しかしそれ以降はビンテージまっしぐらでした。 イタリアンカジュアルやDCブームってのは全然気にならなかったのです。 全て自分が正しい。 ちゃんとポリシーを持って「生きる」ってことが正しいのだと。 とにかく極めてやろう。その思いだけでした。 とても仲良くしていた友人はついに大学を中退し、 原宿の某有名古着店の店員になってしまいました。 しかし、その後また転機が訪れます。 それは・・・ (つづく)