●NIKEへの帰還    (98/08/01)		カミナリオヤジ西村

	第6章
	
	1986年4月。
	私があまり着たくないものを着る日々が始まります。
	就職です。
	不思議なものです。
	大学時代に滅多に行かないオフィス街に用事があって
	夕方行ったのですが、
	なんとも覇気のないオジサンたちがさえない服装でゾロゾロ歩いたいたのです。
	その時、こんな人たちの仲間にはなりたくない。
	サラリーマンになんかなってたまるかと決心したのです。
	しかし、私が就職したのはまさにそのオフィス街の一角で、
	決心したその場所を毎日スーツで通うことになったのです。

	毎日古着とキャンバスのスニーカーで過ごしていた私は
	どうしていいのか途方にくれました。
	60年代のスーツに60年代の革靴というものにも
	チャレンジしてみましたが、
	高かった割にすぐに破れたりして使い物になりませんでした。
	あぁ、夏になっても長袖ですごすなんて地獄のようだと考えたりもしました。
	私はブルックスブラザーズのスーツに、
	レッドウィングのポストマンシューズというパターンが多かったように思います。

	幸い私が行った会社は配属先によっては、
	スーツを着なくてもいい部署があったのです。
	私は当然そこへ希望を出しました。
	運のいいことに7月の正式配属で私はスーツから解放されました。

	とはいえ、さすがにサラリーマンとしては、
	古着にキャンバスシューズというスタイルでは
	かなり無謀です。
	ボタンダウンシャツにコットンパンツが定番となりました。
	特に新入社員の身。大人しくすることにしました。
	そこで全然興味のなくなった「現代モノ」のスニーカーにも
	目をむけるようになったのです。

	当時はリーボックが大ブームとなり、
	多くの人がはいていたように思います。
	しかし、私は全然興味がわきませんでした。
	アメリカの一番いい時代のスニーカーをはいていた人間が
	アジアでつくっているスニーカーをはけと言われても簡単にははけないでしょう。

	休みの日は相変わらず古着にキャンバスシューズだったのですが、
	会社ではく靴をどうしたものか。
	そこで私がはき始めたのは、
	adidas等のヨーロッバ生産のものや
	ニューバランス等のアメリカ生産のものです。
	特にadidasのオフィシャルは何度も買いました。
	ただ毎日同じ靴をはくのがどうしてもいやだったので、
	何種類かでローテーションをつくっていました。
	これは今も変わっていないような気がします。

	たまたま私は某靴チェーン店のお仕事をお手伝いすることになり、
	そこのカタログ制作などもやるようになり、
	スニーカーの情報はかなり早く入ってくるようになりました。
	撮影したスニーカーをいただくことも少なくありませんでした。

	それでもかたくなに拒否しつづけたもの。
	それはアジア生産のスニーカーです。
	どうしても買いたくなかったのです。
	「Made in U.S.A.こそが偉い」で育ってきた私には、
	どうしても粗悪品にしか思えなかったのです。
	それは第一章から読んでいただいた方にはわかると思うのですが、
	誤った認識でも、私のカラダにしみついてしまった感覚なのです。

	特にNIKEをはいている人って、
	当時大した人がいなかったのです。
	語ることは語るんですが、
	全然スニーカーのことを知らないじゃないのって感じの人ばかりでした。

	しかし、気付けば、欧米製のスニーカーはほとんどなくなっていったのです。
	スニーカーで通勤する毎日。
	やはり買い足していく必要がありますが、
	それをNew BalanceやPatrickなどで補うには限界があります。
	どうしたものだろう。
	adidasだってほとんどがアジア生産になってしまってきている。
	他のブランドも・・・・
	この流れはもう止まらないだろう。

	何人かがだまされたと思ってNIKEをはいてみたら、
	ということを私にいいましたが、
	そりゃはきごこちはいいだろう、
	だが所詮アジアなんだよという答しかしませんでした。

	ある友人がある時、
	「エアマックスの黄色1万円で売ってあげるよ」という電話をくれました。
	当時はすでに10万円くらいになっていたような気がします。
	しかし私の答はNOでした。

	仕事の関係で少しスニーカーについて調べる機会が訪れました。
	その時に知ったことは、
	欧米製でもほとんどがアジアでつくられ、仕上げが欧米であることです。
	つまり私がこだわっていた欧米製というのは、
	もはや単なる肩書きにすぎない時代となっていたのです。

	もう八方ふさがりです。
	何も買うものはない。
	たまに出会う古きよき時代のスニーカーを買うだけでした。

	しかしやはり私はスニーカーが好きなのです。
	こうなったらアジア製を受け入れてみよう。
	そういう決断にたどり着きました。
	が、いったい何を買えばいいのだろう。
	何しろ知識がまったくない。
	それよりもっと困ったのは、
	現代モノと自分の服装とのコーディネイトなのです。
	いわゆるハイテクとどう付き合っていくのかが全くわかりませんでした。

	ある時出張で京都に行った時、
	帰りに古着屋さんをまわってみました。
	その時、なぜか目に付いたのが、
	AIR FORCE 180 LOWの青黒だったのです。
	試着してみました。
	何年ぶりだろう、NIKEは・・・
	約20年振りの「帰還」だったのです。

	これがAIRの感触なのか・・・
	私はこれを受け入れようと思いました。
	NIKEを否定するなら、ちゃんとはいて否定したい。
	しかし否定する要素は見当たりませんでした。

	私はこの一足でハイテクシューズとの合わせ方というものを
	かなり研究しました。
	何しろ色が多いこと。これが一番の難題だったのです。
	そしてハイテクシューズは基本的には上品なデザインではありません。
	これを上品に仕上げることはやはり難しいことでした。

	研究を進めるうちに、
	次々とNIKEを買うようになりました。
	自分自身の服装もこれでかなり幅が広がった気がします。
	雑誌も読みましたが、ほとんどが洋雑誌だった気がします。
	日本の雑誌はどうみてもコーディネイトが下手でしたし、
	靴の選び方もそれがレアモノかどうかというのが基準だったからです。
	
	現在私はほとんどのブランドを否定はしません。
	ブランド自体を否定することに意味を感じないからです。
	しかし否定するスニーカーは少なくありません。
	その時の基準とは世の中的な評判などではありません。

	自分がつくってきた自分のスタイルに合うかどうか、
	自分が好きになれるかどうかなのです。
	そして否定するなら否定するなりのチャレンジも
	忘れてはいけないと思っています。

	本当のはきごこちというのは、
	靴のつくりとかクッション云々だけではなく、
	それをはいて本当に自分が気持ちよい一日を過ごせるかどうかだし、
	そこに自分があるかどうかなのです。

	ここ数年インターネットを通じてたくさんのことを学びました。
	しかし私がそこで一番大切にしてきたのは、
	コミュニケーションです。
	人との意見の交換なのです。
	それが一番自分のスタイル形成に影響を与えるからです。
	もちろんOFFでも合う努力をしますし、
	インターネットに興味もない方との会話も大切にしています。

	世の中の意見を聞く耳を持つこと。
	そしてそこで自分がそれにどう意見できるかということを
	大切にしたいと考えています。
		
	そのためにも自分の「スタイル」そのものは
	いつの時代もしっかりと持っていたいと思っています。

おわり


	<連載を終えて>
	このような場を与えていただき、
	いつも締め切りギリギリにしか原稿を送らない私を支えてくださった
	taka@さんに深く感謝いたします。
	現在彼とは最低でも月一度お会いしています。
	私のスタイル論に共感いただき、
	また数多くのことを学ばせていただいております。

	またフリマ等でご一緒させていたいております
	GATCHAMANさん、OJAさん、ナルオさん、
	そしてHIROKOさんたちからも多くを学ばせていただいております。
	彼等とも頻繁にお会いしております。

	CHATやメールでお世話になっています
	kazuomiさんを始めとする方々、
	若いのにいつも私を刺激してくれるMASA−Pさんたち、
	こまめに相談にのっていただけるnoikeさん、
	遠方でも何かと情報をくださるオルスニの方々、
	買うという楽しさを教えてくださるTO−Yさんたち・・・・
	あぁ、もうキリがありません。

	気付けば皆さんきちんと「自分」を持ってらっしますね。
	何が好きで何が嫌いかをはっきり言える方々ですね。
	似たところはあっても、各々違った意見をお持ちです。
	その違いこそ楽しいし、お互いのスタイルを育てていけるのだと思います。

	最後にこの連載を最後まで読んでいただいた方々に
	心より感謝いたします。

1998年7月
Kaminari-Oyaji
Yasuro R. Nishimura