●NIKEへの帰還    (98/04/30)		カミナリオヤジ西村

	第四章

	adidas。もちろん、その存在は知っていました。
	しかしながら、それはサッカー部の人たちの限られたブランドという印象でした。
	当時私は洋服をメインで売る店でスニーカーを買うのがかっこいいと思っていたので、
	スポーツ店で「運動靴」を買うのはいかがなものかという気持ちもありました。

	いつも通っていた店で、アメリカ製のスニーカーに並んで置いてあったのが、
	adidasのTABACCO、TAHITI、HAWAI(なぜかHAWAIIではない)、RIVIERAのスエードも
	のでした。
	実はそれらが気になっていたのです。
	アメリカ製のジョギングシューズばかりはいていた私にとっては、
	ちょっとおしゃれに見えました。
	手にとって見るとMade in Franceという文字。
	ヨーロッパ、しかも当時世界一おしゃれな国だと言われていたフランス。
	スポーツ店で見ていた日本製のものとは違う本物なのだと思いました。
	私が手を出さなかった最大の理由はadidasであるということでした。
	しかし、これが本物のadidasだという思いはその意識を変えるものでした。

	高校に行き、制服がブレザーになり、靴は自由となったため、
	やっとスニーカー生活に戻ることが出来る。
	しかし、ブレザーに運動靴はちょっと嫌だ。
	そんな時に出会ったのが、これらのスエードものだったのです。
	これだったらブレザーにも合うんじゃないかと考えました。
	私はTOBACCOとHAWAIを愛用しました。

	一方で原色中心のアメリカのジョギングシューズに対する疑問も
	生まれていました。
	これって、靴だけ浮いちゃうんじゃないの?
	全身を鏡で見ると妙に目立っているのです。
	それはそれでおもしろかったのですが、
	まっとうな着方とは違うんじゃないかと思い始めたのです。
	その疑問に対する答がこれらにはあったのです。
	それ以来私はadidasが一番好きなブランドとなりました。

	高校一年生の冬休み、初めてアルバイトを経験しました。
	広島に住む親戚の家で住み込みです。
	5万円ほどもらって名古屋に帰る途中、
	ふと大阪で途中下車してしまいました。
	明確な目的があったわけではなく、
	大金も入ったから、なんかいいものでも見つけようというような軽い気持でした。

	噂に聞いていた「アメリカ村」へ。
	たどり着いた時、私は倒れそうになりました。
	想像をはるかに超えたかっこいい街だったのです。
	街を歩く人も非常にカッコ良かったし、
	店も商品も全てが刺激的でした。

	名古屋は遅れている。
	ここには通わなければいけない。
	そういう決意といくつかの靴を持って帰りました。
	事実その後近鉄を使い何度も往復しました。

	同時に原色のジョギングシューズも
	こうやれば違和感なくはけるというはきかたも盗みました。

	そうなると、ドイツadidasも気になってきます。
	SL72、TRX、FORMULA-1...
	中でも私の一番のお気に入りはRUNNERでした。
	黄色に青なんて目立ちすぎるのですが、
	これが非常に上品に見えたのです。

	adidasを入口に他のブランドも気になってしかたなくなっていきます。
	その中でも好きだったのは、
	フランスのパトリックとスウェーデンのトレトンでした。

	さて、実はアメリカ村で持ち帰ったものの中に
	もうひとつ大事なものがあったのです。
	それは・・・・

	(つづく)