つぶやきひとつ前のを読む 1月5日(水)
◆初夢縁起を担ぐほうだ。そんなわけで、一度は『一富士 二鷹 三茄子』なんていう縁起のいい初夢を見たいと思っていた。見たところで人生が劇的に変わるはずもないのはわかっちゃいるけど。 しかし元旦の夜に実際に見たのは、おぼろげにしか憶えてないけど「すごくイヤな夢」っていうのはわかった。それじゃまずいので、布団にもぐりこんだまま再び夢の世界へと堕ちる。 自慢じゃないが寝起きは悪い。身の丈ほどもあろうかというベッドから、はしごを使って降りて、エアコンを操作して、再びはしごを上って布団に入る、というくらいでは眠気は醒めない。いわんや布団から出てもいない状態であれば、多少の思考力が働くくらいで、眠気には影響がない。半寝どころか 3/4寝状態だ。 そのわずかな思考力で「富士山〜 鷹〜 茄子〜」とイメージを浮かべながらREM睡眠に浸る。すると頭の中では富士山をバックに茄子を咥えた鷹が飛び回っていた。かなり強引ではあるが、かくして私は期待通りの初夢を見ることができた。 1月10日(月)
◆おっさんの言い分『パソコンの操作は家電なみに簡単になるべきだ』という人がいる。テレビや電子レンジを引き合いに出しての話らしい。 複雑なモードや操作もなく、ボタンを押すだけでチャンネルを切り替えて、ボリュームを調整して、ビデオを再生して、電話をかけることもできる。確かに簡単だ。しかし、そんな簡単な操作で実現できることなんてたかが知れている。いろんなことができるパソコンで「チャンネルを替えたり」「ボリュームを調整したり」「電話をかけたり」といったレベルのことしかできなくて、それでいいんだろうか。 携帯からもe-mailを打てる時代だが、操作もそれなりに複雑になってきている。もはや機械オンチのおっさんたちにはついて行けない世界だ。できることが増える代わりに操作は複雑になる。その事実に目をつぶっていては、いつまで経っても次のステップには踏み出せない。 ビデオの録画予約操作はGコードである程度簡単になった。しかしCM時間を考慮に入れたり、毎週同じ時間帯を録画したい場合などには、やはりマニュアルでの設定にはかなわない。パソコンの性能が上がることで、操作を補うような技術も載るかもしれない。しかしそれだけですべての操作を代替するのは、一朝一夕では実現できまい。 苦労せずに楽したいってのはわからなくもないけど、優雅な白鳥も水面下では足をバタバタさせてがんばっている。おいしいところだけを努力なしに手に入れようったって、そうは問屋がおろさないのが世の常だ。 1月28日(金) ◆乾いたスポンジ雑文界なるものがここまで発展していたとは、最近になるまで知らなかった。大した投資もせずに自費出版に近いことができるわけだから、そういう趣味の人が活動してたって不思議じゃない。仲間うちで会を催して、雑文のできを競ったりしているのは面白そうだ。なかには認められて本物(プロ)の物書きになった人もいるようだし。 何かモノを書こうと思ったことはあるにはあるが、いかんせん言葉を知らない。言葉を知っていたからといっていい筋の物語が書けるかというとそんなことはないが、同じ筋でも言葉を選べば見栄えがよくなる。言葉を知らなくても、吸い飲みで流し込まれるような平易な文体と卑怯なトリックの組み合わせなら赤川次郎くらいにはなれるかもしれないが、そんなん、ヤだ。 オリジナリティーといっても所詮マネだ。気の効いた言い回しを使いたくてもそれは飽くまでどこかで読んだことのあるものの組み合わせでしかない。しかし組み合わせるものが多ければ多いほどコピー元の影は薄れ、自分のカラーが出てくる。 幸い今では、著作権の切れた作品がWeb上で読めるようだ。物書きになるつもりはない(っていうかなれない)けど、もっと読まなければ、読みたい、と思う。 1月31日(月) ◆上越スキー金曜の11時に倉見を出て、圏央道→関越とひた走り、3時過ぎに到着。途中で酒を仕入れることがかなわなかったので、某氏の常備品であるウィスキーをひと口、ふた口、み口…勢いが止まらず、結局二人でボトル5分の3ほど。そのまま眠りについた(酒に頼るなよ)。 8時ごろにのっそり起き出して、準備。ウェア・板・ブーツ・ストックはレンタル。グローブとリフト券ケースは購入(毎年一つずつ買っているような気がする)。身なりを整えて、いざ出発。3時間とはいえひと眠りできたので、ずいぶん楽だった。 1発目のリフトで、某氏に背負ってもらったリュックを開けて、ウィスキーのビンを取り出す。ゲレンデを見下ろしての酒は格別だ。カラダもあったまり、一石二鳥。 1年ぶりの滑りなのでおっかなびっくりだったが、なんとかいけた。かなり酔っぱらっていたので恐怖心が薄れたのか、思いきって体重移動できた気がする(だから酒に頼るなってば)。ウィスキーが終わってからはビールに転向。昼飯を食べた後も、リフトに乗るたびにひと缶を飲み干す。 飲んでばっかりじゃないか。 2月7日(月) ◆合唱団もびっくり国際情勢には、取り立てて興味はない。しかし、オーストリアはきな臭そうだ。 日本のようなほぼ単一民族で構成される国に暮らしていると見えてこないが、外国人の比率と失業率を比べれば、「外国人流入→職の不足」って図式が浮かんでくるのは当然のことかもしれない。 そりゃーそうだろうな。困ったことは人のせいにしたほうがラクだ。「やつらがいるから」と考えることで自分を正当化できる。自分たちが悪くないと思いこみ、じっと手を見るようなことはしない。でもそんなラクな方法に逃げるような人間が、いざ外国人が去ったからといってまじめに働くとは到底思えない。 地を覆う情報網や流通が発達して、国境線は曖昧なものになってきている。そんな世界情勢の中にあって、外国人排斥・民族の囲い込みとはちゃんちゃらおかしい。これからもがんばって安易な道を選んで、破滅へ向かってその歩みを進めてほしいと願う。 ◆風邪とアルコール土曜日は酒の回りが早かった。風邪の直りかけだったからかどうかは不明だが、途中からひどい頭痛に襲われた。久しぶりに飲み屋で寝るという失態を演じてしまった。閉店を1時間ほど過ぎてなんとか帰ったが、何度やってもやはり決まりが悪い。 飲み屋で寝たのは、憶えている限り2度目だ。あれは忘れもしない…え〜っといつだっけ。まぁいい、5年前としておこう。大分にいた頃、行きつけの飲み屋があった。行きつけといっても、片道30kmも離れた場所。ひと月に1度行くか行かないかというレベルだったが、会社のイベントなどではよく使っていたので、顔見知りではあった。 調子に乗って飲みすぎた晩、店のソファーで寝ていくように勧められた。自動製氷機のガタゴトという動作音をおぼろげに聞きながら、朝方まで浅い眠りの中をさまよった。昼頃まで横たわっていただろうか、その後のそのそと起き出して、借りていた合鍵でドアを閉めて佐賀関へと戻った。(後に私の不用意な発言が元でその店からは断絶を食らうのだが、その話はまたの機会に) おいしく呑むには酒量や体調をきちんと把握しとかないといけないということか。今回は大トラでも人に噛み付くことはなかったので ◆ディスクの追加会社に数多あるパソコンは、その大半が2〜3年前のものだ。LANの導入が始まったその頃に、大量に買われたもの。CPUはPentium/100〜133、HDDは1.2GBというのが一番多い。 スピードは我慢すればムリムリ何とかなるかもしれないが、ディスクに関しては難しい。いろんな作業をするにつれ、データは増えこそすれ減ることなどない。積もりに積もったデータはいつのまにかディスクを食いつぶし、Windowsの動作もままならなくなる。自室で個人的に使っている8GBのディスクが半分ほど埋まっている状況を考えると、この状況を乗り切れといっても酷な話でしかない。 要望に応えて、追加用のディスクをヤマダ電機で購入。15GBの容量で17000円とは、1.2GBを3万円で購入した頃を考えると隔世の感がある(←じじぃ発言)。回転数はそう高くないが、こんなもんだろう。 定時後に取り付け作業を開始。取り付けの過程で8GBしか認識できないことが判明したが、昔の環境なので仕方あるまい。認識できただけで儲けもんだ。旧環境をそのまま移すユーティリティーで、1.2GBのパーティションをまるまるコピー。 ここでもうひとつ2GBのパーティションを追加して、言われるがままにWindowsを再起動。しかし、起動しない。本来であれば Starting Windows 95...と表示されるべきところに jというアルファベット1文字のみを描いて、反応なし。何度やってもダメで、マスターにしようがスレーブにしようが結果は同じ。どんな状態であれ、マシンに繋がっていると起動しない。 ついに根負けして、予備の8GBドライブを取りつけてお茶を濁した。持ちかえってうちの環境で調べてみようと思うが、一体なんなんだろう。 2月8日(火)◆壁お世話になっている飲み屋さんではここ最近、プレイステーションのDance Dance Revolution(以下DDR)を使って多いに盛り上がっている。夜な夜な出かけては、湧き上がってくる矢印を遮二無二踏んづける毎日が続いた。ゲーセンではヘナチョコだった僕もそれなりにレベルの高い曲をクリアできるようになった。 そのうち 小さい頃…といっても中学生くらいまでだけど、何度か親父に腕相撲で勝負を挑んだ。ひじから指先までの長さが親父のそれと同じ位になるまで、そこそこの回数は挑戦したと思う。しかし、絶対的とも思える力の前に、連敗に継ぐ連敗だった。確かに、たいした苦労も知らずにのうのうと育ってきたぼくが、昭和の激動期を生き抜いたその腕にかなうはずもない。しかし高専に入った頃からだろうか、親父はぼくとの腕相撲にあまり乗ってこなくなった。せっかく「互角に戦えるかもしれない」という自信がつき始めた頃だったが、その自信も試されることなく雲散霧消してしまった。 腕相撲の勝負如何にかかわらず、僕の中での親父としての存在は揺らぐことはないと思っていたが、いや今でも思っているが、親父にしてみれば息子に負けることは許されないことなのだろうか。親父の威厳と酔っぱらいの威厳じゃえらい違いかもしれないが、勝負を避けがちになった自分を見てふと、そんなことが頭に浮かんだ。避けてはいけないのかもしれない。 3月27日(月)おひさしぶり。 ◆携帯相変わらず九州セルラーの携帯を使っている。一時はDoCoMoに乗り換えようとも思ったが、結局契約した地域(NTT九州移動通信網株式会社だと九州圏内)以外での通話料金は割増しになる。将来あるであろう転勤の際にまた加入しなおすのもバカらしいし、それ以前、地域間の格差が通話料に効いてくるほどは使ってないし。 元来「家」という存在と分かつことのできない存在だった加入電話と違い、その可搬性が一番の利点であるはずの携帯電話。それなのに土地を移ると損をするというのは一体どういう了見なのか、理解に苦しむ。全世界で使えるともなれば少しは納得がいくものの…え?ダメ?そうですか。 そんなわけで今となっては長期割引だけがメリットになっている九州セルラーだが、先日cdmaOneに乗り換えないかとチラシを送ってきた。PDCでも不満はないが、今の機種(カルト的なウワサで有名な某社製)は時折勝手に電源を切ってサボるようになったのでいい機会だ。不人気なモデルを選べばゼロ円で更新できるし。なんだかうまくダマされているような気もするが、「毒くらわば皿まで」ということでもう少し付き合うか。 4月30日(日)◆はてしない物語なにか事を起こそうとすると『部屋を片付けないと先に進まない』事態が多くなってきた。 未だに携帯を換えてない。もたもたしてたら件の売れないロハ機種でさえ品切れとなってしまい、安いモデルを物色中。 実は理由はほかにもある。なんだかんだで増えつづける電話番号をパソコンで管理していたが、パソコンと携帯を繋ぐケーブルがPDCとcdmaOneとではコネクター形状に違いがあるらしい。シリアルのSD/RDと電源線の数本しかないだろうに、いちいち形状を変える必要性がわからない。 携帯番号を管理するパソコンソフト(SOURCENEXT製『携快電話』)のサポートページを覗くと、cdmaOne用のケーブルを3,000円強で売ってくれるそうだ。6,000円程度する製品をいちいち買いなおす必要はないということでトクなのだが、ケーブルを買うときに、マニュアルに記載されたシリアルナンバーが必要になる。ところがそのマニュアルが見つからない。 すべての事柄が「部屋の片付け」にリンクしつつある。いよいよ年貢の納め時か。この機会を逃すとこの先2年くらいはチャンスがなさそうだし、ちったぁ本腰入れよう。 あたまに戻る |