8月4日 日曜日

朝6時半起床。起きて階下へ降りてみるとたかちゃんが他のメンバーと玄関の上がり端でざこ寝していた。金城家はかつて民宿をしており、部屋数が多いのに なぜこんなところに?
朝食を済ませ、乗船まで時間があったので女の子4人で車でちらっと
阿波連ビーチまで連れて行ってもらった。先発隊数人はこのビーチ近くでキャンプをしていたはずである。おだやかできれいなビーチだった。泳げなくて残念!しばらくぶらぶらしてから戻り、港へ移動。この小さい島のどこにいたのだろうと思う程お客がいる。来る時はのんびりフェリーだったが那覇までは高速船だったのであっと言う間の船旅だった。また是非ゆっくり来てみたい島だ。

お迎えのバスに乗ってこれからずっと滞在することになる国際通り至近のホテルへ移動。荷物だけ預けてこの旅の大目玉 、南風原町津嘉山地区へバスで向かうのだ。出発までの数時間、たかちゃんはホテルでひと休み、私は女の子数人と国際通 りへ出かけて行き、HABU-BOXで欲しかったTシャツを3枚も購入してしまった。もう今回の旅の買い物が全て済んでしまったような満足感。ブルーシールアイスクリームをなめなめホテルへ戻る。
事前の連絡で今年は諸事情により10年目の大綱曳きではなく、小綱曳きになるということがわかった。残念無念である。地元としてもそんなに大掛かりな祭にはならないので普段着でやるということにしたようで、東京から用意してきた着物は着用不要とのこと。出発前日にやっと襦袢を手に入れたのにちょっとがっかり。赤い鼻緒の祭ぞうりだけ履いてバスに乗り込んだ。春さんと数名が綱曳き前に行われる雨乞いの御願(うがみ)に列席するということで先に出発。その御願も見たかった私とたかちゃんとしてはこれまた残念なことであった。

津嘉山公民館を提供していただき、エイサー隊は室内で練習を行っていた。私達女性陣は今回の祭の為に東京にいる時から練習していた「津嘉山綱曳き歌」のおさらい。何番までも歌詞があるのだがとりあえず3番まで覚えようとがんばった。 地元の人と一緒に歌えたらいいなあと熱が入り、繰り返し繰り返し声をそろえる。




みんなして唄のおさらいをする


しばらくすると区の役員さんたちが見え、歓迎会をしてくださった。 この席では、今年は残念ながら大綱曳きではなくなってしまったこと、綱曳きは雨乞いの神事なのでお盆の念仏踊りを起源とするエイサーの演舞は祭の主旨が違うことからどうか御理解いただいた上御遠慮願いたいということであった。あらあら。でも仕方のないことである。席では司会の方が自作の歌を数曲披露して下さってとても楽しかった。その後、過去の大綱曳きドキュメントビデオで祭の全貌を見せていただき、そのものすごさ、文化の深さを知る。ああ、今回が大綱曳きだったらものすごいことになっていただろうにと今はただただ想像するのみ。
祭の始まりが近づき、我々一行は人数が多いために全員が春さんの実家である「東」地区に協力したら不公平であるということで 2つに分けられ、東と西の陣地に別れ別れとなった。たかちゃんとは偶然にも同じく東になった。しかし東地区の陣地へ83歳のおばあが祭見物に現れたことで西陣地にいた女子は全員東へ移動、おばあを囲んで歌の練習となった。「もうこんな歳だから歌わないよ、声なんて出ないもの」そう言っていたおばあではあったがみんなにうながされるまま歌い始めたそのきれいな高い声と言ったら!ああ、これが本場綱曳き歌!感動して涙がちょびっと出た。しかし地元の若い女の子がいないのはなぜだろう?おばあよりずーっと若い婦人会のおばさまたちが集まり始め、私達にも太鼓を配り始めた。太鼓までやらせてもらえるのか! 印象的だったのは小学生の男の子達が大人達に教えてもらいながら祭に参加している姿。地域文化の継承の現場を目の当たりにする思いだった。
いよいよ勝負の場となる会場(小学校の校庭)までの道スネーイ(=パレード)が始まった。隊列は東の旗頭を掲げ持つ数名の大人を先頭に小学生の男の子達を中心に構成された10名位 の鐘鼓(ソーグ)隊が続く。その後ろには
太鼓と手踊りを担当する女性陣数十名が連なっている。私達は太鼓をうちならし、綱曳き歌を高らかに歌いながら昂揚した気分で津嘉山のうねうねした細い路地を下って行った。銅鑼、絞め太鼓、ほら貝の音が鳴り響く。左手に太鼓を持ち、高くあげては叩くという独特なリズムで一歩一歩進んで行く女性の後ろには、色とりどりの布を細く裂いてまとめ持って手踊りを行いながら女達が続いていく。しばらく進むともう腕が上がらない。隣にいた婦人会のおばさまが「その持ち方じゃ疲れるの。こう持って反動であげながらやれば疲れないのよ。額の上まであげて−!打つ!あげて−!打つ!」・・・私にとっても他のメンバーにとってもかなりヘビーで私達はかわるがわる叩きながら会場へ進んで行くのであった。この歴史ある祭の道スネーイの女性の中に太鼓を持って綱曳き歌を歌いながら歩み進む自分の存在の不思議さ。ふだんは東京に生活する津嘉山とはこれっぽっちも繋がりのない人間なのに、である。なんでここにこうしているんだろうと一瞬我に帰ったりもしたがただただ嬉しくてにこにこ歌い踊りしながら道スネーイは続く。

会場では別のルートで進んできた西の女性陣と出会い、両者は応援合戦の様子を呈している。両陣営が位 置につき、わたしも綱に取り付いた。太さは渡嘉敷島と似たようなものであった。太い綱に毛根のように枝別 れした引っぱり用の綱が伸びていてたくさんの人が曳けるようになっている。上から見たらきっと杉の葉っぱ状だと思う。渡嘉敷島に続いて綱曳きも連チャン2回目、思いきり曳きまくるのだ−!渡嘉敷で負けた悔しさを解き放つのだー!ここでもかけ声はサー!サー!サー!サー!・・・もみくちゃになっているうちに東が勝った!喜びのカチャーシーをひと踊り。しかしそれでは終わらなかった。同じ陣内の女性達は太鼓と踊りがそれぞれ向かい合った体制で綱曳き歌をその場で歌い続け、踊り続けた。歌詞こそ次々うつろっていくが同じリズムでそれを続けるので、踊る側にいた私はもうトランス状態。他の女の子達もそうだったみたいでなんとも不思議な体験ではあった。綱曳き会場では私達がめくるめくトランス状態に陥っている間も地元の男性が棒術の演舞を行っており、たくさんの見物人がその場を離れようとしなかった。全て終わると私達はまた歌い、踊り、太鼓を叩きながら東の陣地へ勝利のスネーイをして帰った。「綱曳き歌の中にはこの坂を下るときだけ歌うことになっている歌詞があるんだよ」と興味深いことを教えてくれるおばさまもいた。婦人会のみなさんの中には私達の参加を「楽しかったよお」「上等だったさー」と言って喜んで下さる方もいて陣地へ到着すると飲み物や食べ物をたくさん運んできてくれた。ありがたやー。そうそう、たかちゃんは記録係なのでこの間ずっとビデオをまわしていた。たかちゃんに限らず、男性陣は私達女性程に祭りに参加した感はなかったのではないか。ちゃんと曳けたのかどうか?

ごちそうをいただき終わったころ、いきなりのスコール。「この祭の後はいつも雨が降るのよ。雨乞い祭だからね」と地元の人が言った。霊験アラタカだ!

思えば未だかつてこんな感動を地元の祭でも感じたことがなかったかもしれない。校庭に集まって拡声器ががなりたてる曲を聞きながらやぐらのまわりを踊る祭ではこんな感動はない。一番近い体験は小学校6年生の時の祭だ。小鐘叩きをしていた私の乗った山車が神社のある小高い山の頂上への急な上り坂をかなりのスピードで引き上げられて行く時のこと。体が狭い山車の中の壁に押し付けられ、友人達が何かが取り付いたような勢いで太鼓を叩きまくる背中が見えた。ものすごい迫力の中にいたあの瞬間だ。祭は参加し、体感することに尽きるのではないか。エネルギーが体中に沸き上がり、音やリズムがいつまでもこびり着くような気分。この祭をエイサーのみんなに味あわせたかったと言う春さんの気持ちが少し分かったような気がした。

公民館に戻って春さんの御家族の差し入れをごちそうになり、一部は東地区の集まりにお礼に出向き、一部はタクシーを呼んでホテルへ戻った。長くて腕の痛い、ものすごく濃い一日だった。参加できてよかったーーーーと叫びながら就寝。