8月3日 土曜日


6:20、隣の駅から羽田行きのリムジンバスに乗って出発。昨夜遅くまで支度をしていたので睡眠時間は約3時間。バスは順調に走ったらしく、目がさめたら空港だった。集合時間には余裕で間に合った。太鼓のメンバーは大荷物で大変である。メンバーの何人かはすでに先発隊として渡沖しているので今日飛行機で行くのが全員ではないが20名をこえる大所帯である
。チケットを受取ってから搭乗時間まで間があるので朝ごはんなど食べる。高い。
で、飛行機は無事那覇空港に到着。迎えのバスで「とまりん」へ移動、出航。船内で食べたお弁当がたまらなくおいしいかったのはなぜだったのだろう。甲板で唱ったり踊ったりしているうちにフェリーは島へ着いた。




大揺れの 船上でクイチャーに興じるchiru


メンバーは港で先発隊の出迎えを受けて再会をヨロコブ。今回お世話になる金城家に荷を解いてひと休みした後、夕方から行われる綱曳きの綱を編む手伝いとその見学。綱は朝の8時から編み始めたそうである。「覚えが早い」「来年また来い」などと声をかけられながら男子チームはベテランの指導を受けながら少しずつ少しずつ仕上げて行った。2人が長い鉄棒を綱の下でクロスしてぐいっと綱を浮かせている間に巻き込んでしばって行くのだ。みんないただいた手ぬ ぐい(この顛末記目次のトップを飾っている写真がソレです)を頭に巻いて、ふるまわれたおつかれさんビールを飲みつつ地元の人と祭気分を次第に盛り上げて行く。



裏通りでみんな総出で綱を編む

数十メートルの長さに編まれたその縄は先が輪になっており、東は男綱、西は女綱なのだそうだ。西の輪に東の輪を入れて、一本の棒でかんぬ きのように綱をつなぎ止めるというもの。傍らでは若い衆が旗頭を担いで本番さながらの練習を指導されていた。こうやって引き継がれて行くのですねー
さて、綱曳き本番の時間となった。男も女も出来上がったばかりの綱を肩まで担ぎあげて綱曳き会場となる公民館前の道路へ運んだ。そう、会場となるのは普通 の道路上なのである。綱は「東(あがり)」と「西(いり)」に別れ、それぞれ豊作と大漁を競い合う。私達のお世話になる金城家は「東」なので我々も「東」。若い衆が銅鑼の音と共に旗頭をサア!サア!のかけ声に合わせて勇壮に担ぎまわり、志気をあおり、場を浄める。東西の綱は、輪になった綱の頭をかいくぐらせて棒で止められ、いよいよ合図と共に綱曳き開始だ!サア!サア!サア!サア!サア!サア!曳けー!曳けー!わーーーーーーー!!!
西は不公平にもわずかに下り坂になっており、誰が見ても有利。たかちゃんはその風体から「西を威圧する」という目的でエイサーシンカの逞しい男性とともに綱の先頭のポジションに抜擢されて曳いていた。私もみんなもかなりがんばって曳いたけれど東は負けてしまった。西方のおばあたちが勝利を告げられた途端、いっせいにカチャーシーを踊って喜びを表している。ヨカッタヨカッタ、私もうれしい。旗頭もますます力強く舞い踊り、先っぽについていた小さなくす玉 が割れて紙吹雪が舞った。もう一回したい気持ちー!
綱曳きの神事が終わったあとはあっという間に会場(といっても路上)は余興の場に早変わり。司会が登場し、みんな路上のあちこちに座り込んだまま公民館入り口の階段を舞台にしてにぎやかに始まった。東京エイサーシンカの面 々もここで御披露するので金城家に戻って支度を整える。出番が来た時は私は他の子守り係、たかちゃんはビデオ係(&貴重品係)を仰せつかっていたのだった。演舞の途中にものすごいスコールがあったが濡れることもいとわずの大熱演。これにて「渡嘉敷島大綱曳」は無事終了し、私達は金城家の用意してくれたBBQでこれでもかというくらい肉を喰らう。みんなして肉を100枚くらい焼いたような気がする....
渡嘉敷青年団もやってきて金城家前の路上はモウアシビ状態となったが12時でとりあえずおひらきの声がかかり、パワー溢れる若者達は港へ場所を変えて盛り上がったようであった(たかちゃんもちゃっかり参加)。