7/20(金)

増えた荷物に四苦八苦しながらパッキング。たかちゃんも私も9日の日程のくせにいつもリュックサック一つなので大変である。
11 時の安栄観光の船に乗るために宿を後にする。先にレンタカーやさんに寄って車を返し、おにいさんに桟橋へ送ってもらった。待ち合いのコインロッカーに荷物を一部預けて乗船。竹富島は目と鼻の先で30分おきに夕方まで便が往復しているのだ。バスみたいな感覚である。石垣島を拠点とする観光客にはお手軽に日帰りできる島である。

竹富島は小さいながらも昔から八重山の要所であり、現在は島の文化、風土の保存の為に島ぐるみで過度な観光化からその身を守り、美しさを保ち続けている。今回の民宿は「内盛荘」。ワゴン車で宿まで乗せて行ってもらい、荷をといた。
わー赤瓦だわー、海岸の砂を敷き詰めた白い道だわ−、本で見た通りだわーとたかちゃんと感嘆の声を漏らす。フォトジェニックアイランド、なのである。ぎゃー!宿の前は司馬氏と須田画伯が当時宿泊した高那旅館ではないか!すぐそばに郵便局、白保で書いた絵葉書を2枚、ポストに落とす。今回アドレス帳を忘れて来たので、私とたかちゃんの実家にしか書けなかった。レンタサイクルを借り、もらった地図を頼りに走り出す。白い道にタイヤを取られて結構走りにくい。あっという間に汗だくである。

 

赤瓦の上のシーサーを撮るたかちゃん
photo by chiru

さて、司馬遼太郎「街道をゆく」。ここに書かれている印象的な場所として喜宝院蒐集館がある。ここは浄土真宗のお寺で、上勢登亨さんという御住職が個人で島の文物を蒐集され、展示しているのである。まさか御本人はもう御存命のはずもなく、ここを守る館長は前住職の息子さんだということがお話でわかった。当然、現在の御住職でもある。御住職は入り口で静かにワープロを打っていたりなんかして。
私が司馬遼太郎の本で読んだのでここにはぜひとも来たかったのだと言うと、子供のように手をたたいて(!)歓迎してくれ、折しも何かの学会に依頼されて司馬氏の「街道をゆく」を引用しつつ、そのあたりの 文章を書いている真っ最中なんですよ!今偶然そのシーンに来たところなんですよ!なんて言って液晶画面 を指差して読んでくれたりもした。
本の中で司馬氏に質問され、答えるのももどかしく展示物の竹でできた打楽器、ジン(銭)ササラ を演奏して唄い出したと言う父ぎみのシーンに触れ、「それがこれなんですよ」と言ってカギをあけてジンササラを取り出し、「おやじのようにはうまく唄えませんがこんなふうにしたんでしょうね」と実際に使って安里屋ユンタを一節唄ってくれたのだ。これには感激した。
「わー本と同じで、なんだか目に浮かぶ様ですねー。やっぱりあの本を読んでここにくるといろいろ重なって興味深いですよねー! 」と喜ぶと住職もまたもや手を叩いて喜んでくれた。
「私もね今ここに書いたんです、まるで映画のワンシーンのように2人の姿が目に浮かぶようだってね!」住職は続ける。
「観光のあり方を考える時期だと思うんですよね。
車でぐるっと回っておしまい、みたいのではなくね。どこにカメラを向けても全てが被写 体となるような美しさもありながら、それでいて文化的な資産もしっかり残している島、司馬先生の著作を訪ねて歩くような内容のモノもあっていいのではないかという...」話は続くのであった。本土資本から竹富島を守った父上の遺志が、この住職には完全に根づいているのだなあと思った。
「まーかわいそうにー!焼けたんだね!?」住職はたかちゃんの足袋状に焼けたふくらはぎに目を止めて
いきなりカッターナイフを手に表へ飛び出し、ながーいアロエの葉を切り取って戻ってきた。
「さあ、これ塗って!」
ああ、「唄は情け、人も情けの浮遊人」。CDジャケットにサインしてくれた安里さんの言葉である。

南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏...

この日はいろいろあったのでまだ続きます。


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