ワイン用葡萄生産者アンディ・ベクストファーの誇り
こちらは地に足のついたレポートで評判の坂野みなさんの、原稿です。
葡萄栽培者=グロゥワーについての記事です。
この記事で成る程・・・と、思い返す事もシバシバありました。

とある、私の誤解から、それをハッキリとさせたいので、エエかげんな
記憶の中から、探して来た記事です。長文ですから、印刷されてから読まれ
る事を、お勧めいたします。                  リキ

 ■連載カリフォルニアワイン…ナウ!   1998年11月号より。   坂野みな著
 
 よいワインはよい葡萄畑から生まれる。アンデイ・ベックストーファーは、テロワールの
コンセフトを信じ、優良畑を追い求め、最新の技術と資金を惜しむことなく投じてきた。
そして不可能が常識とされていた現実を可能に変えていった人物である。今や注日の葡萄
栽培家として満足するアンデイ・ベックストーフアーに長年にわたる苦労とちょっびりの
自慢話を聞いてみた。
  ナパ・ヴァレーを中心に契約栽培を行なう葡萄栽培事業、ベックストーファー・ヴィン
ヤーズ社の創立者であるアンディ・ベックストーファーは、ナパ・ヴァレーのプレミアム
ワインとなる原料、つまりプレミアム葡萄を現在40のワイナリーに提供している。

  MBA(経営学修士)を取得したばかりのアンディがヒューブラインに入社したのは1966
年、ちょうどロバート・モンダヴィがナパにワイナリーを設立し、再度この地でワイン産
業が活性化し始めた頃だった。当時バルクワインの生産を主としていたヒューブラインの
経営陣に対して、プレミアムワインへの方向換えを強く主張したアンディは、その鋭いビジ
ネスセンスとプレミアムワインへの意欲が買われ、当時ヒューフラインの傘下にあったイ
ングルヌックとポーリュー・ヴィンヤードに良質の葡萄を提供する栽培全社、「ヴィニフェ
ラ・ディヴェロップメント」社の設立を任された。その後、1978年には彼が同社を買い取
る結果となり、社名は「ベックストーファー・ヴィンヤーズ」と改名された。
 インタビューの場所となったセントへレナのオフィスには、ベックストーフアー・ハウ
スと大きな看板が付いていて、古いファームハウスを改築したような落ち看いた雰囲気の
建物である。1階は珍療室と患者の待合室として利用されており、いかにもビジネスに長
けた人だなという印象を持った。
 


■バイオニア的存在

 アンデイは栽培とビジネスの両面でパイオニア的存在だといえる。リスクを恐れない前
向きな彼の功績として注目に値するのは、イスラエルから取り入れたドリップ式灌漑シス
テムの導入である。今ではナパをはじめニューワールドのどこの畑でも見ることのできる
ドリップ式潅漑システムだが、アンデイ・ベックストーファーはナパに初めて取り入れた。
1971年のことであった。特に、水の確保が難しく葡萄栽培はそれまでほぼ不可能と思われ
ていたカーネロス地区をカリフォルニアのブルゴーニュへと変身させていった。
 さらに、冷涼な気候のカーネロスではメルローは育ちにくいとされていたが、1990年、
アンディはメルロー種を初めてカーネロスに植え付けた。涼しい気候で育つメルローは成
熟(登熱)に大きなリスクを抱えているものの、複雑で探みのある洗練された風味が得ら
れる。
 また、葡萄栽培家の社会的地位の確立にも頁献した。英語でGrowerと呼ばれる栽培家た
ちは、日本風に言えば葡萄栽培農家である。葡萄栽培農家の人達は祖父の代(カリフォル
ニアの場合、イタリア系の移民が多い)から引き続いて畑を所有し葡萄栽培する家族が多
く、今から30年前は社会的にはセカンドクラスとして意識されていた。葡萄の栽培はよく
知っているがビジネスとなるとわからない、ともすると畑を手放すという悲劇が起りかね
なかった。葡萄は野菜などと同じ農作物として受け止められていたため、沢山できれば価
格は下がり、天候が悪ければ何もできないという不安定な収入状態だった。
1975年、アンデイはそんな栽培農家の問題を解決し、栽培家同士、そして栽培家とワイ
ナリー側のコミュニケーションをはかるためにナパ・ヴァレー栽培家協会(NVGGA)を
結成した。
 初代会長として活躍したアンデイは同時にビジネスとして栽培業を成功させる教育も推
進した。この組合の活動によって、プレミアムワイン用の葡萄は、ワイン産業の一部分と
してワインのように“ブランド”としての地位を確立した。葡萄の価格は、1本のボトル
の価格に比例する方式が使われるようになった。例えば、ボトル1本の価格が20ドルであ
れば、葡萄1トンの価格は2000ドルというふうに計算される。葡萄の価格はあらかじめ契
約を綻ぶ時点で決められ、収量によって価格が影響されることがなくなった。ちなみに、
ベックストーファーのカベルネ・ソーヴィニヨン種の中には1トン当たり4200ドルの区画
もあるという。
 


■プレミニアム葡萄畑

 ベックストーファー・ヴィンヤーズ社のモットーは、最新の栽培技術を積極的に導入し
て、最高の葡萄を提供すること。そのためには、まず最高の畑、よい土(テロワール)が
必要である。ベックストーファー・ヴィンヤーズは1980年代後半から、ラザフォードを中
心に有名な葡萄畑を積極的に買収していった。現在、ナパ・ヴァレー、メンドシーノ、レイ
クの3カウンテイ(郡)にまたがり、約1000haを栽培している。作付面積の規模として
は、ナパ・ヴァレーで3番目であるが、アンディは規模の大きさではなく、質のよさが勝
負であると断言する。
 ベックストーファー所有のシングルヴィンヤードの中には、1859年にハミルトン・クラ
ブが初めて葡萄を植えたとして知られる優良畑トーカロン・ヴィンヤードがある。オーク
ヴィルのロバート・モンダヴィ・ワイナリーに隣接するこの畑から生まれたワインは、百
年以上も昔にべリンジャー、チャールズ・クルッタ、ポーリューと並んで最高級のカリフ
ォルニアワインと賞賛されていた。
 35haのトーカロン・ヴィンヤードは数年前、ケンダル・ジャクソンが長期契約を結ん
だことで話題となった。また、ボーリューの創設者であるジョージ・デュ・ラツールが1923
年に購入したポーリューNo.3(その後100haまで拡張しヴインヤード・ジョージ3世と畑名
を改名)は、ラザフォードのケイマス・ヴィンヤードに隣接する。ヴインャード・ジョー
ジ3世の畑名で2000年にリリース予定の『クロ・デュ・ヴァル1997年カベルネ・ソーヴィ
ニヨン』にも期待したい。
 そして、カーネロスにある55haのラス・アミーガスは、ルイ・マティーニから買い取っ
た畑である。契約先の一つであるアケイシア・ワイナリーでは、ピノ・ノワールの老樹
からすばらしい葡萄を入手しており、収量の低減にともない改植を考えているベックスト
ーフアーに対して現存の葡萄樹を維持するために高額な代金を支払っているという。
 これらの畑のほとんどは樹齢が古くなったことやフイロキセラ禍の理由で、土壌に合っ
た台木、クローンを使い、密植での植え替えが行われた。これだけの有名畑を抱えるベッ
クストーファー・ヴィンヤーズは当然のことながらシングル・ヴィンヤード(単一の畑名
ワイン)を提唱している。単一の畑に多様性を持たせるために、つまり土壌を表現するた
めに最大限の可能性を追及する。例えばトーカロン・ヴインヤードの場合、カベルネ・ソ
ーヴィニヨンは3種類のクローンをそれぞれの土壌に通した台木と組み合わせ、メルロー
は2種類のクローンを、加えてカベルネ・フラン、プティ・ヴェルドといったボルドーブ
レンドに使われる品種が植えられている。
 40の契約ワイナリーのうち30はナパ・ヴァレーのプレミアムワイナリーだ。まず、この
ようなプレミアム葡萄畑を大手のワイナリーが見逃すはずもない。ケンダル・ジャクソン、
スターリング、フェッツアー、べリンジャーといったワイナリーがナパ、メンドシーノに
またがり葡萄を購入する一方、小規模なプレミアム・ワイナリーも良質の葡萄を求めてダ
ン・ヴインヤーズ、ポール・ホープス、デレクタス、ロコヤなどがベックストーファー・
ヴィンヤーズ社から葡萄を契約入手している。
 


■忘れられない出来事
 
 1970年は、アンデイにとって忘れられない年である。それは開花したばかりの葡萄を襲
う春の遅霜との戦いであった。近年のエル・ニーニョが湿気をもたらすのに相反して、
20〜30年前のカリフォルニアは乾燥した気候パターンが続いた。当時、栽培のコンサルタ
ントであったアンドレ・チェリチェフ(ボーリューのワインメーカーだったアンドレ・チェリチェフ
とアンディとの関わりあいはヒューブライン時代からとても深い)とアンディは、霜警告が
出るとトラックの一番高い所に寒暖計を設置し、畑の温度をあちこちと測定して回った。
そして、畑の各所に置かれたストーブに火をつけるわけだが、全て燃やせばよいという
わけではなかった。何日続くかわからない霜に対して、十分なオイルが必要だからだ。
 例年なら8〜9日で一去って行く霜の襲来は、1970年春にはなんと28日間も続いたという。
はたして全部のストーブを燃やすのか、一つ置きに燃やすのか、またストーブの火力をど
の程度に調節するのか、オイル、忍耐を失うことなく二人は28日間、問答を繰り返しなが
ら遅霜と戦ったらしい。スプリンクラーのなかったその時代ならではの苦労談を聞かせて
もらった。
 一方、一生忘れない喜びは1997年の豊作だという。カリフォルニアではフイロキセラ禍
の再来をきっかけに、多くの葡萄畑が多額の資金を投じて葡萄樹の改植を進めてきた。最
新の葡萄栽培技術を使って植えられた葡萄樹は見事にその成果を現わし、恵まれた気候と
あい重なり、平年を大幅に上回る大量の葡萄が、しかも良質の葡萄が収穫できたことは、
栽培家として忘れられない思い出となったそうだ。

■アンディの夢
 
 今年のヴィンテージを発表するには時期尚早であるが、ずるずると長引いた寒い春、開
花期の降雨、湿気によるかびの問題、8月の急激な猛暑、期待通りに気温が上がらず葡萄の
熟成が遅れた9月と、今年は今までのカリフォルニアには見られなかった湿度の高い収穫
年となった。
 ほぼ30年近い葡萄栽培を振り返ってみても今年のような異常な気候は今までにも見たこ
とがない、とアンディは言う。
 しかし、このような気候パターンは世界の他のワイン産地には常識的に存在する現象で
あって、カリフォルニアが今までラッキーであっただけかもしれない。新しいテクノロジ
ーの導入によって葡萄畑では、通気や日照を考慮した剪定法・仕立て方やキャノピー・マ
ネジメントが導入されている。今年は、収量は落ちるかもしれないが、良質の葡萄が生ま
れることは間違いないよ、と悲観的な私のコメントは遣り込められた。
 ベックストーファーのプレミアム葡萄畑を供給源とするワインは、すでに市場での評価
が高い。しかも、'80年代末から'90年代にかけて購入された畑は次々と改植が進められ、そ
のほとんどがまだ若樹であるためにまだまだ将来に大きな期待ができる。
「私の夢は、21世紀になってナパ・ヴァレー(特にラザフォードを中心として)がコンス
タントに世界一のワインを造る産地となることだよ。最新のテクノロジーとすばらしいテ
ロワールがあるからね。もちろん品種は、カベルネ・ソーヴィニヨンだろうね」と自信満々
に語ってくれた。

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