日曜日


 ん?
 今、何時だっけ? 十一時過ぎ? よく寝たなあ。けどまだ眠い。
 昨夜は少し飲み過ぎてしまった。何しろ下宿に戻ってきた記憶がほとんどないもの。気が付いたらベッドの上でひっくり返っていた、っていうのが唯一に近い記憶。ええっと、どこで飲んだんだっけ? そうそう、「もん吉」だったよな。あそこで麦焼酎ロックを立て続けにやったんだっけ? いつもの悪い癖。ご機嫌になったらついつい飲み過ぎてしまう。で、ほとんど何も覚えていない。
 それにしても頭痛がひどい。がんがん痛む。プロレス好きの先輩Qにヘッドロックをかまされたみたいな気分。そうか、ゆうべは酔い冷ましの水も何も飲まずにぶっ倒れたから、これだけ二日酔いがきついんやろか。
 なんだか、下腹の具合も悪い。そう言えば、「もん吉」の帰りに「天下一品」のラーメンを食ったんだよな。う〜ん、だんだん記憶が蘇ってきた。ま、あのラーメンを食ったら翌朝は腹具合が悪くてあたりまえか。にんにくたっぷり、唐辛子みそたっぷり。で、翌日は…。
 ん? 誰や、ドアをがんがん叩くのは?
 あ、そうか。Y先輩と今日はコンピラに行く、って約束したんだっけ? う〜ん、遠い昔の夢みたい。けどY先輩もどうやら寝坊したんやな? 昨夜のことをとことん忘れていて自己嫌悪。しゃあないな、コンピラで汗でもかいて身体にたまったアルコールを抜くとするか。
 Y先輩のバイクの後ろに乗せてもらって楽々コンピラ往復。バスやちゃりんこで行くことを考えたら、やっぱり行く相棒を選ぶべきやな。
 MとKに北壁、それからチムニーも登った。楽勝やった。セカンドやったもんな。それに、チムニーはトップロープで登ったしね。けど、Y先輩は僕に今度はトップで登れと言う。ま、そうは言っても、僕はM先輩やW先輩たちの「山歩会地獄組」の連中みたいに「岩登り、命」なんて思っちゃあいない。そこそこの岩登りのバランスが身について、冬山縦走なんかで役に立てばいいと思ってるだけさ。明星岩壁フリースピリッツや屏風岩の何とか山岳会ルートを登ろうなんて思ってるわけでもないしね。まあ、こんな地獄組みたいな連中も、僕みたいな冬山縦走組も、あるいは沢登り専門組や夏山専門組も、同時に存在しえるところが山歩会の良さなんやろうけど、でも結局、裏返せばそこが致命的に甘いところなんかもしれんなあ。
 そうは言っても、僕もそこそこ登れるんだぜ。チムニーの左側のボルト、あそこを初見でフリーで登ったやつはそんなにはおらんやろ? ま、もっともトップロープやったけどね。
 帰路はYケン尾根を駆け下りて、夕方遅くにBOX着。何しろ登りはじめたのが昼過ぎだったから、帰るのも遅くなってしまった。けど、誰もいない寂しいBOX。ヒマ研の記録から皆の行き先を割り出そうとしたけどほとんど誰も書いてはいない。日曜日やから仕方がないな。皆、下宿でごろごろパターン、やろか?
 日曜日の百万遍は、ほとんどの店が閉まってる。晩飯を食うのにも困る。「百万石」の中華料理は二日酔いで不調の胃袋にはちと辛いものがあるな。
 仕方がない。ちょっとしけてるけど、中央生協でわびしい晩飯にしよう。
 こうしてふたりは中央生協でわびしい定食を食べ、Y先輩の下宿にほど近い「ZAC BARAN」で、ジャズを聴きながら再び飲み始めるのであった。
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月曜日


 やれやれ。週初めの朝から思わずため息。
 今日はドイツ語の授業がある。これだけはエスケープできない。だから、コンピラにも行けないし、大原のどぶ掃除のバイトにも行けない。専門の講義なんて出席しても教官の声を子守歌に眠ってしまうだけだしね、出席も採らないからエスケープすることも多いんだけど。語学は出席重視だもんな。
 昨年、ドイツ語中級の単位を落としてしまって、今受けているのは「DD(デー・デー)」と呼ばれる中級の補習。昨年はずっと語学をさぼっていて、夏休み前のある日、同期のYと出席したら「君たち、これから一回でも休んだら単位はないと思え」って教官に言われてしまった。あと半年以上も休まずに出席できる自信はないから「あ、すみません。僕たち、もう、あきらめます」って、早々とあきらめてしまった。で、今年、補習。
 ま、山歩会では珍しくない。ドイツ語初級を落として「DP(デー・ぺー)」を受けてるやつもざらにおるもん。な、のーちゃん?
 午前中にドイツ語を受けて、昼飯は寮食。あのおんぼろ吉田寮の食堂さ。うまくはない。どちらかといえばまずい。味噌汁なんてほとんど具も味噌も入ってない。おたまで鍋の底から具と味噌をひきあげなけりゃならん。けど、圧倒的に安い。その値段だけに釣られて食いに行くんだけど、食堂が開くのと同時に行かないとすぐになくなるほどの人気。何でこんなもんが人気なのか、わからん。ま、かくいう僕もそうなんだけど。
 昼飯の後、講義に出席する意志もなし、はっきり言ってやることがない。じゃあ、BOXにでも行ってみるか。
 山歩会のBOXはそういう連中の吹き溜まり。まあ、誤解のないように言っておくけど、まじめなやつもおるにはおる。授業の選択の合間に空いた時間を調整するために立ち寄るだけのやつもおるにはおる。そんなやつはうらやましい。することがあるわけだからね。でも大半は退屈で死にそうになって吹き溜まってくる連中ばかりやな。
 教養部A号館地下への階段を下りると、湿気のこもった暗いBOX。ゆがんだ鉄扉をぎぃっと開けて、しばらく暗さに目を慣らすと見えてくる。
 ああ、皆、おるな。W先輩は机に脚を投げ出してコミック誌をむさぼり読んでいるし、のーちゃんはベンチの上で眠ってる。BOXの壁にザイルを張って、綱渡りをしようとしてるのはM先輩とちがうか? やることに事欠いて、こんなところで綱渡りの練習をするなんざ、よっぽどヒマなんやなあ。
 お、ヒマ人が来おった、とW先輩が僕の顔を見て笑う。
 あのな、あんたに言われたらおしまいや、ってさすがの僕でも思うてるんやけどなあ? そりゃ、ヒマなことは認めるけど?
 机の上に放り出してあるヒマ研ノートに目を通す。今日は誰もたいしたことは書いてない。M先輩の「暇じゃ〜」という字が踊っている。
 ヒマ研ノートはもともと「ヒマラヤ研究ノート」の略称だった。ヒマラヤを目指して情熱を燃やす連中がその情報を交換するためにはじめたBOX常備のノートだったらしい。けど、今では完全に堕落。「ヒマラヤ」どころか「ヒマ」を研究するノートに成り下がってしまった。
 で、僕もこのノートの常連になってしまった。「徒然なるままに心に浮かぶよしなしごと」をこうして書きつづって、晩飯の時間をひたすら待つ。
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火曜日


 今日は昼過ぎにご出勤。
 ん? どこにか、って? そりゃ、もちろんBOXに決まってるやないか。
 あ、やっぱりいた。M先輩に、W先輩に、のーちゃん。いつも変わらぬメンツやな。M先輩が僕の顔を見て肩をすくめたところを見ると、むこうもそう思ってるみたい。けど、どうもこの顔つきを見てると麻雀のメンツが揃うのを待ってるようだ。しばらくしたらY先輩がきた。めでたく四人揃って「イワタケ」へ。
 そのあとにも何人か、続々とやってきた。今日はえらい多いな。珍しいやつもいっぱい来てるし、どうしたのかな、と思ったところで思い当たった。あ、そうか、今日は例会があるんだっけ。だいたい、いつもは水曜日なんだけど。
 例会があれば、京女の女の子が来る。皆、それが目当てだけど、何食わぬ顔でBOXに参集。例会の予定時間のずっと前からむんむんの熱気。
 けど、京女の女の子はあまりこのBOXには来ない。やっぱり、地下に降りる階段、っていうのが恐怖心をあおるんやろな。しかも行き着いた先が暗い湿気の籠もった地下室。汗くさい汚れ物が干してあって、ほこりっぽくて、煙草臭くて、乱雑で、無精ひげはやしたむくつけき男どもがわんさかおって、そりゃ、僕が女なら真っ先に逃げ出すわな? 先輩に連れてこられた彼女たちは何とかBOXに招き入れられても入り口付近で怯えたように固まってるしな。何かが起きたらすぐに逃げ出せるように準備をしているみたいだ。
 でも最近は度胸がすわった、というか、そんなBOXの風情(?)を気にしない女の子も増えてきた。ひとりで遊びに来る女の子も多くなったみたいだ。
 ちょうど山行計画の端境期で、提出された計画は少なかった。岩登りと比良山行ぐらいだった。問題なく承認が与えられて、例会はめでたく散会。女の子もひとりも食われることはなくすんだ。
 今日は女の子を晩飯に誘うと珍しく何人かがついてきた。こういうときはいつも僕たちが行くようなきたない学食には行けないので、もうちっとましな店に行くことにした。百万遍の「円居」へ。ここでMGM(ミックス・グリル・ミート)を食べて、僕はいつもの仲間を求めてBOXへ戻る。
 BOXの上には数台のバイク。おお、皆、お揃いやな?
 しばらくBOXでだべった後、「みそら」へ出撃。「みそら」のテーブルを奪取せよ。そう、目標はカウンターの酔っ払い。僕たちは、本気の戦争をここ「みそら」でおっぱじめなくてはならなくなった。「みそら」愛ちゃんも本気、僕たちも本気。ここらへんは「エリア88」のノリ。ここは戦場「エリアみそら」。
「ちょっと、あんたたち、二階の座敷の置物、ちゃんと返してや」
 のれんをくぐるなり、いきなり愛ちゃんから先制攻撃を喰らう。おい、RYOよ、すぐに迎撃だ。今、僕たちと愛ちゃんとは交戦状態。どちらが悪いかというと、当然、僕たちが悪い。そもそも僕たちが酔っ払って、店の備品を隠匿しはじめたのが発端だ。座布団を服のなかに入れて持ち帰り、猪口を失敬し、徳利を失敬し、ある日、ついつい調子に乗って座敷の床の間にあった干支かなんかの瀬戸物の置物まで失敬してしまった。これが愛ちゃんの知るところとなって…。
 BOXへの帰路、気分良く酔った僕たちは道路標識をどうしてもBOXに飾りたくなった。根元からへし折るなんてきわめて簡単さ。僕たちは意気揚々とその標識をBOXに担いで帰った。後日、仇敵・川端署による現場検証が行われていた。僕たちは笑いをかみ殺しながらその横を通り過ぎた。
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水曜日


 う〜っ、昨夜も結局、飲み過ぎてしまった。
 寝過ごしてしまったことに気づき、がばっと起きたら八時半。
 う〜ん、しまった、完全に遅刻だ。今日は京都北山・八丁平に市有林巡視のバイトに入らねばならないのだ。バスは朝七時半発。午前中はそれ一本のみしかない。相棒のじゃまろは自分のバイクで行っちまっただろうし。でも、バスに乗り遅れたからと言って行かないわけにはいかない。午後のバスにするわけにもいかない。僕のバイクはこのあいだ事故ってしまって修理中なんだ。運が悪いなあ。
 痛む頭を抱えながら顔を洗い、どうすべきかを考える。
 とにかく大原まではバスで行って、そのあとはやっぱりヒッチハイクをするしかないなあ。ま、バス代も節約できるし、それがええな。
 その考えに従って、大原まではバスで行く。さて、そのあとは延々と山のなかの国道を歩き続けるのみだ。適当に手を挙げれば、適当に車が止まってくれるやろ? けれども、今日はよっぽど運がないみたい。通りかかる車はどれもこれも止まってくれない。ずいぶんと歩いたところで、ようやく一台、止まってくれた。
「どこまでや?」とおっちゃん。
「葛川中村までお願いしますわ」と僕。
「残念やったなあ、にいちゃん、おれは堅田に抜けるんや。ちょっと方向がちがうわなあ」と気の毒そうに、おっちゃん。
「とほほ。じゃ、途中越まで頼みますわ、お願い」と僕。
 何とか頼み込んで乗せてもらったけれど、乗っている時間はあっと言う間。
 で、結局、途中越で降ろされて、僕は再びとぼとぼと歩き始める。けれども、これまた次の車がなかなか止まらない。週末だったら、釣りのおっちゃんとかがすぐに乗せてくれるんだけどなあ。平日だからそんな車はないのかなあ。とぼとぼと歩き続けて花折トンネルに向かう登りカーブにさしかかる頃、ようやくもう一台が止まってくれた。これでようやく葛川中村の集落へ。
 ここから山道を歩くこと、約三時間。遅れた償いに、途中で八丁平近辺の巡視を兼ねながら歩き回る。そして、ようやく管理舎着。午後の日もずいぶんと傾く時刻であった。じゃまろはすでに巡視を終えてビールを飲んで、夢の途中。
 八丁平は標高八〇〇m付近に広がる盆地状の高層湿原。学術上貴重なものらしい。けれども、京都市がこの湿原の傍らに林道を建設しようとしたことから湿原保護の林道反対運動が起こり、結局、京都市はとりあえず林道建設を棚上げ、見せかけの湿原調査と保護のために僕たちの巡視員バイトが生まれたわけだ。
 僕たちはここで巡視員として、登山道のクマザサの刈り払いをしたり、六〇kgもの材木を担ぎ上げて橋を架けたりという整備活動もどきや、湿原内に入り込んで希少種の昆虫を採集しようとする輩を追い出したり、かすみ網猟をしている現場を通報したりするという保護活動もどきを行ってきた。
 一日八五〇〇円、飯代・交通費込。対価は安いが、結局、登山を趣味とする僕たちにとっては、趣味と実益を兼ねた、まさに一石二鳥のバイトだった。
 この管理舎には水道も電気もガスも電話も何もない。飲み水は近くのせせらぎから汲み上げ、電気の代わりに灯油ランプを使う。ガスはカセットコンロで代用するし、電話がないから市役所からのうるさい監視を受けなくて済む。
 文明から切り離された山奥にあるおかげで、ここは夜には鼻をつままれてもわからないぐらいの暗闇に包まれ、頭上には無数の星たちが瞬くのだった。
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木曜日


 せせらぎの音が気持ちよく響く。山のさわやかな大気のなかでの心地よい目覚め。管理舎の傍らを流れる冷たい流れで顔を洗い、すっきりと目覚める。
 昨夜はじゃまろと酒を飲みながら話し込んだ。山のこと、女のこと、将来のこと。けれども、昨日歩き続けた疲れのせいか、そんなに飲まないうちに早々と眠ってしまった。いつもは賑やかなじゃまろも昨夜はおとなしかったなあ。中島みゆきの「夜曲」を繰り返してしんみりと聞いていたっけ。
 さて、今日は市有林巡視のあと、下山の予定。普通は八丁平から中村越を経て葛川中村に下るんだけど、このあたりに精通している僕としては近道をして芦火谷を下りたい。踏跡も定かではないけれど、何度も通った道だから。
 今日の巡視はフジ谷峠からオグロ坂峠を経て峰床山へ。ここは京都府下では第二位の標高。ここからクラガリ谷を下って湿原へ。湿原内に設置された百葉箱の機器をチェック。ちょっと遠回りだけど、スキー場跡を通って湿原をほぼ一周。フノ坂峠からユリ道を通って管理舎へ戻る。ほぼ三時間の行程。
 簡単な昼飯を食ったあと、午後二時、下山開始。バイクで帰るじゃまろと別れて、僕は芦火谷源流を下りはじめる。帰路はもちろんヒッチハイクの予定だけど、最悪でも夕方の京都市内行きバスには乗りたい。午後一本のこのバスを逃すと悲惨だものな。獣道みたいな踏跡だったけれど、何の問題もなく芦火谷口のバス停に到着。六月にこの道をたどるとシャクナゲの群落がきれいだ。
 ちょうどデリカ・スターワゴンが通りかかったので、手を挙げる。こういう車は止まってくれるんだよな。案の定、少し行き過ぎただけで止まってくれた。
「あ、な〜んだ、Yさんだったのか」と僕。
「おう。ちょうど、おまえたちが降りてくる頃やと思うてな、注意しながら走らせとったんや」と窓から顔を出したYさんは笑う。Yさんは京都市役所経済局の課長さん。僕たちのバイトの総元締めだ。林業振興の仕事できていたらしい。
 いつものヒッチハイクなら運転者に気を遣って眠らないように気をつけるんだけど、今日は身内の安心感からか、京都市内までぐっすりと眠らせてもらう。夕方遅く、Yさんは僕をBOXまで送ってくれた。BOXで再びじゃまろと合流。
 今日の晩飯は「丸二食堂」へ。とにかくバイトで腹が減った。ここならご飯は食べ放題だもの。定食三五〇円は僕たち学生の味方。ここの小僧がちとうっとおしくて、相手にすると飯がまずくなるけど(何故か、なんて女性にはとても言えないよ)そのくらい我慢すっかぁ。
 Y先輩と並んで「丸二の王者」と呼ばれる僕は、痩せの大食い。ここでどんぶり四杯を軽く食べる。俗に「大・大・中」と言うどんぶりのおかわりだ。けど、これって意外と技術が必要なんだな。定食のおかずはたいして多くはないから、いろいろ考えを巡らす。えっとぉ、このおかず半分で一杯めを食って、残り半分で二杯め。こっちの小鉢で三杯め、この味噌汁で四杯め…。これだけ食ってもちっとも太らないもんな、皆がうらやましがる理由がわかるような気がする。
 暗くなりかけた京都の街をぶらぶらとBOXへ戻る。
 今日は充実した一日だったよなあ、しっかり働いて、しっかり食って。僕の頭のなかからは「講義に出席する」という考えはすっかり欠落している。こんなんじゃあ、親が泣くわなあ。けど、充実した時間であることは確かやな。
 京大の時計台に灯が点る。僕は夕暮れのこの情景が大好きだ。自由な校風のこの京大が大好きだ。自由に自分の山に登れる山歩会が大好きだ。山歩会の仲間たちが大好きだ。そんな気持ちに浸りながら、今日も僕は仲間と飲みに行くのだった。
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金曜日


 いつものように朝寝坊をして、昼過ぎにBOXに出席する。
 ごめんよ、親父。僕はもう講義には出席できない身体になってしまったのさ。
 こんなことをうそぶきながら、教養部正門前にやってくるとなんだか騒々しい。道路には機動隊の灰色塗装の輸送バスがずらりと並び、皆同じような顔をしたアンドロイド機動隊がジュラルミンの盾を手に直立不動で並んでいる。
 おうおう、また何かやらかしたんやな? 今度は何のデモや?
 はるかな昔に全共闘が崩れ去っても、ここ京大は相変わらず過去に生きる。
「打倒! 米帝!」「日米安保の東南アジア侵略阻止!」「首相の東南アジア歴訪絶対阻止!」などのさまざまな立て看板が教養部構内にはあふれかえる。中核派? 革マル派? ノンポリの僕にはさっぱり区別もつかないけど。ここ教養部構内は一種の治外法権地域。大学当局も手が出せない。警察も進入できない。つい先日には、教養部の廊下で活動家が鉄パイプで殴り殺されることもあった。その血痕はなぜかどうしても拭いきれず、いつまでも黒い跡を廊下に残していた。
 構内では活動家たちがアジ演説を行っていた。
「米帝とぉ、日帝のぉ、協同的同盟によるぅ、帝国主義のぉ、アジア侵略をぅ…」
 その周りを、ヘルメットをかぶって顔にタオルを巻いた活動家たちと、野次馬根性にあふれた単なるノンポリ学生たちが取り巻いていた。
 相変わらずやなあ。他に言うことはないんかい?
 別にこういう思想に共鳴はしないけど、ま、こういうことが自由に言える雰囲気の大学ってのがひとつぐらいあってもいいんじゃないか、と僕は思う。
 BOXに入ると、外の熱気とは全く無縁で怠惰な集団が、午後の平和な憩いをむさぼっている。相変わらずコミック誌を回し読みしている僕たち。やれやれ。
 そのうち、ランニング姿で何人かが戻ってくる。どうやら、大文字山までトレーニングに行っていたようだ。BOXの不健康な集団より随分ましな連中やな?
 あんたたちは偉いっ! 僕には真似できない。トレーニングのためのトレーニングなんて、僕にはとてもできないよな。
 なんてことを自嘲気味に思っていたら、同期のYが同じくランニング姿でパック牛乳を飲みながら帰ってきた。
「いやあ、大文字まで走って登って、それで帰ってきたらさ、無茶苦茶喉が渇いてさ、そしたら、献血車が止まってたんでさ、二〇〇cc献血して、この牛乳をもらってきたんだ、ラッキ〜、百円得したわ」
 あのな、百円の出費を惜しんで、血液二〇〇ccを牛乳二〇〇ccと交換するその考え方に感心するわい。ま、僕の血液やないし、別にええけど?
 やがて、コンピラに岩登りのトレーニングに行っていた連中も帰ってきた。
 今日はBOXが賑やかだ。活気にあふれたBOXっちゅうのはええもんや。
「おい、喉が渇いたな」と、そのうちM先輩が言いはじめる。
「ビール、飲みたいなあ」と、今度は何人かが唱和する。
「よっしゃあ、おい、ビール、買ってこいっ」と新人部員に指令が飛ぶ。
 新人部員は袋を持ってみんなの間を巡り、カンパを募る。
 BOXにいる連中は懐をさぐり、百円玉、十円玉、いろんな硬貨を放り出す。バイト収入があったばかりのやつは千円札を放り出し、皆から拝まれる。
 やがて、到着した瓶ビール、栓抜きがないものだから歯でこじ開けて、紙コップで乾杯。こうして、夕方の穏やかな時間は賑やかに流れていく。

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土曜日


 ああ、頭ががんがんするなあ。やっぱり昨夜も飲み過ぎた。「ちくわ」だけでもう終わりにしておけばいいものを、RYOとふたりで僕の下宿までふらふらと帰ってきて、それからまた飲み続けた。何を話してたっけ? 比較文化論から文学論、恋愛論やら失恋論。話題はつきない。議論に熱中していて、玄関でがさっと音がしたのに驚いたら、何と朝刊の配達。もうすっかり明るくなってたものな。
 そろそろ寝るかぁ、と言ってごろ寝をして、再び、がさっという音で先ほど眼が覚めた。今度は夕刊の配達。やれやれ。
 ふたりとも、二日酔いが激しいんだけど、それでもやっぱり腹は減るし、面倒だな、どっか近くに食いに出かけるか、と行った先が百万遍の「オランジュ」。ここでいつものオムライスを食べる。今日、唯一の食事らしい食事。
 店を出る頃にはあたりはすっかり暗い。昼夜逆転のふくろう生活。これが学生時代の醍醐味さ。学生の時にはその有難味がちっともわからないんだろうけど。
 なあ、今夜は「もん吉」にでも行くか? 僕たちはその足で「もん吉」へ。
 ところで僕たちの酒の飲み方はとことん徹底している。この徹底された厳しい飲み方は秘伝として、新入部員時代に例外なくたたき込まれる。
 第一条、空腹で飲みに出掛けるべからず。事前に他の店で食事を摂ってくるか、その店でとりあえず麺類でも頼んで酒を頼む前に満腹にしなければいけない。さもないと「あて」(酒の肴)ばかりが消費され、「安さ」が追求されない。
 第二条、「あて」は一品ずつ頼むべし。新入部員の頃、いくつも同時に「あて」を頼んでしまっては先輩からこっぴどく怒られたものだった。
 第三条、二杯め以降は焼酎にすべし。一杯めのビールはまあ仕方なく大目に見るにしても、「安く」「酔う」ためには当然だろう。
 第四条、飲むなら吐くべからず、吐くなら飲むべからず。酒を最も効率的に体内に吸収するためだから当然だ。だいたい折角、腹のなかに納めたものを吐くなんて最低だ。このあたりから、秘伝は狂信的様相を帯びてくる。
 第五条、「あて」と酒を残して、席を立つべからず。居酒屋で「あて」や酒を残す連中をよく見かけるが、これはもう最低だな。頼んだものは必ず食べ、飲み尽くす。これは道徳的にも基本のことだ。さもなければ、学生時代にしょっちゅう腹を空かせている僕たちには精神衛生上よろしくない。
 そして、第六条、他人の残した「あて」も酒もきちんと消化すべし。酒については、こういった連中はだいたい日本酒を飲むはず。日本酒なら回収する。ビールは気が抜けて温くなった、ましてや他人の残したビールなど飲めるものではないからこれだけは眼をつぶる。とにかくこれらを回収し、僕たちが消化することによって道徳が守られ、僕たちの「安さ」も追求される。一石二鳥だ。
 山歩会には大酒のみがやたらと多いが、M先輩は「千円で一晩」を得意とした。この「もん吉」は料理も酒もきわめて安く、焼酎一杯百五十円、冷奴一皿百円。焼酎も大ぶりグラスに擦り切りいっぱい、冷奴も大きめ豆腐一丁に鰹節がたっぷり。ここでM先輩は午後八時に飲み始めて、閉店の午前二時までに焼酎六杯、冷奴一皿で粘り、仕上げるのだった。締めて千円。さすがの僕たちもこれには脱帽。
 僕たちは秋刀魚の塩焼きを頼む。僕たちにかかったら秋刀魚も幸せな大往生を遂げる。内蔵も骨すらも残らない。すべて僕たちの腹の中へ。骨はばりばりとかみ砕かれて。「あて」がなくなれば、僕たちは醤油に箸を浸してこれをなめながら酒を飲み続ける。こうして、いつもと変わらぬ今日の夜も更けていく。

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あとがき


 あとがきも兼ねて

 〜はじめに筆者から〜

 七月下旬のある日、山歩会記念誌の編集者である藤村から電子メールをもらった。どうやら、記念誌の原稿を書いてほしい、ということらしい。
 まあ、元来書くことは嫌いではないし、紀行文の投稿も趣味みたいなものだ。それで軽い気持ちで引き受けることにした。
 編集者の意図は、その電子メールを引用させていただくと「内容については、八十年代前半の流れのなかに位置付けて書いてくだされば、すなわち、八十年代前半がどういう時代だったかということを書いてくだされば、あとは、何を中心にどういう側面から書いていただいても結構です」ということだった。
 けれども、いざ書こうとすると、これがなかなか難しい。
「八十年代前半の山歩会の活動は…」形式で書くことも考えたが、これでは僕の書きたかったことが書けそうにない。でも、書きたかったことを全部書いてしまうと、とてもじゃないけど誌面も時間も足りない。
 いろいろ考えた結果、前述のように「僕たちの山歩会生活」を描写することで、八十年代前半を描写させてもらった。本当はもっともっと書きたかった。「M先輩」や「W先輩」「Q先輩」「Y先輩」、実名に近い登場を果たした「のーちゃん」や「RYO」「じゃまろ」、それに同期の「Y」、たったこれだけの登場となってしまったが、僕としては「さる」「KYO」「みっちゃん」「IKUZO」「やぶた(あ、実名や)」、それに「ぶっ飛び小僧」「たけちゃん」「たごやん」、その他、書ききれないほどのたくさんの仲間たち、「」たちを登場させたかった。
 いずれ、また別の機会に、これら皆に登場していただいて何らかのものが書ければ、と構想している次第である。
 ただ、少し気になるのは、この描写が編集者の意図に沿ったものとなったかどうか、ということだ。このなかにはいわゆる山歩会活動の描写がなされていない(それともこれが真の山歩会?)からだ。その点、編集者にはおわびしなければならないかもしれない。
 もっとも、こんな生活は八十年代後半だって、九十年代だって変わらない、という批判があるなら、それはそれでいいと思う。いつの時代でも、山歩会部員の生活は変わらなかったということの証左だろうから。
 他の方々が、各時代をどのように書かれたのか、記念誌が出版されるまでは筆者にはわからない。きっと、もっと真面目な評論を書かれているのではないかと思う。読み比べていただくのも、きっとおもしろいだろう。

 〜山歩会の登山活動〜

 当時の山歩会はどのような活動を行っていたか。
 これについては、山行記録、あるいは紀行文という形で別途整理されるそうであるから、そちらに譲りたいと思いながらも、ある程度総括させて頂くことで、編集者へのお詫びとしたい。
 僕が山歩会に入部した八一年、山歩会はひとつの曲がり角にさしかかっていたと思う。山歩会の存在意義についてヒマ研ノート誌上で盛んな論議が行われた(ヒマ研でも少しは真面目な議論も行われた!)のもこの頃だ。もともと山歩会は個人主義の限界を補填する組織として構成員に「相棒」と「共同装備」と「自由な
山行」を提供してきたのだが、この頃には保守本流の「純粋個人主義派」と「そうは言っても組織重視派」との間で、議論が続けられていた。前者は「肥大化した山歩会を一旦解散し再結成すべき」、後者は「一部の先進派(?)の身勝手は許せない」との主張を戦わせていた。もっとも、この議論はやがてうやむやとなり、BOXの塵とともに消えていった。そこが山歩会らしいところと言えば、きっとそうなのだろう。
 このような議論のなかでは相当に激しい葛藤があった。先輩を先輩とも思わない発言があったことも確かだ。もっとも、山歩会においては敬語などほとんど存在し得なかったが。いろいろな意味において、山歩会とは個性の坩堝(るつぼ)だったと思う。さまざまな個性が激しく対立し、激しく融合し、激しく反発し、時に互いを激しく刺激しあった。その激動のなかで山歩会に適応できずに去っていった人々が多いことも事実だった。
 一方、山歩会の登山活動に関しては、従来形態のロック・クライミング、あるいはオールラウンドな冬山登山から、フリー・クライミング、あるいは氷壁登攀へと移りつつあった。日本の山岳界の趨勢がそうであったことを考えれば当然の成り行きだったのかもしれない。
 特にフリー・クライミング化については山歩会のなかでは「地獄組」を中心に先鞭をつけた。京都におけるフリー・クライマーの集団として、山歩会は知名度が高かったとも聞く。しかし、その流れはやがて、フリー・クライミングの純粋スポーツ化(たぶん登山自体もスポーツなのだろうけど)ともなっていった。言うなれば華麗なアクロバットだ。それはつまり、誤解を恐れずに言うならば、本チャンのためのゲレンデではなく、ゲレンデのためのゲレンデとなっていったということだ。
 もちろん、一部の先進者たちはゲレンデのみでのフリー化に飽きたらず、明星岩壁フリースピリッツ等、国内で難度の高いルートだけでなく、ヨセミテ等、海外にフリー化の舞台を求めたことも付け加えておく。
 この頃、世間一般の流れとして学生たちの趣味の多様化が進むにつれ、学生の登山人口は減り続けていた。山歩会のなかでもそのひとつの例として、バイクに乗る部員が増えた(僕もそのひとりだった)が、フリー・クライミングの純粋スポーツ化の流れに呼応して、クライミング人口は維持された。いわゆるひとつの「ゲレンデ・スポーツ」との認識が定着してきたわけだ。しかしその一方で、冬山人口は着実に減り続けた。
 この時代を中心に在籍した僕の同期は、六人全員が冬山を経験し、なかでもYYコンビは氷壁登攀までをオールラウンドにこなした。この頃までが山歩会の冬山人口の頂点だったと思う。
 その後も、優れた技術を有した少数の現役部員により、冬山等のヴァリエーション登山は続けられたが、如何せん、その現役人口の低減から規模の縮小を余儀なくされていく。特に遭難発生時の現役救援体制に不安が芽生えはじめた頃に、八〇年代前半は終わる。

 〜山歩会の飲酒活動〜

 書きはじめたらきりがないので、簡単に記す。毎日の飲酒活動については「前述「僕たちの山歩会生活」がまさにそのものだ。

  四月…教養部花見コンパ、千石コンパ。
  五月…新人歓迎コンパ。
  六月…夏山プレが忙しくてコンパなんかできん。
  七月…七夕コンパでロケット花火の撃ち合い、祇園祭コンパ。
  八月…大文字コンパ。
  九月…京大が前期試験で飲酒活動は個人任せ。
  十月…前期試験明けでぼぅーっとしてる頃。
 十一月…十一月祭「ジャンダルム」
 十二月…追い出しコンパ。八坂神社のおけら参りでも飲んだ記憶が…。
  一月…京女が後期試験で沈滞気味。卒業がかかってる者もいるもんで…。
  二月…京大が後期試験で沈滞気味。でも吉田神社の節分祭でも飲んだな。
  三月…コンパとはちがうけど、スキーメイト、かな。

 〜山歩会の麻雀活動〜

 割愛。

 〜おわりに再び筆者から〜

 いろいろと好き放題に書かせて頂いた。
 このような学生生活を送ったせいか、僕は社会に出ても「京大法学部出身です」なんて恥ずかしくて言えやしない。なにしろ、六法系の単位をひとつも取ってはいないのだ。他人には「政治学系の単位ばかり取ったもんで」と言い訳はしているが。ともあれ「京大あほうがく部出身です」もしくは「京大さんぽかい出身です」と答えざるをえない。だいたい相手には苦笑されるか、「さんぽ、って散歩でもしてたの?」と尋ねられて、むかっ、とくるか、どちらかだ。これも身から出た錆のひとつかもしれないけれど、それでも僕はこんな学生生活を埃に、じゃない、誇りに思う。
 最後に。
 こんな機会を与えていただいた記念誌編集者の方々には、そのご苦労をねぎらうとともに、厚く御礼を申し上げたい。
 また、このように寄稿させていただいたのは、同時代に山歩会に在籍された方々が、この「僕たちの山歩会生活」、あるいは長すぎる「あとがき」などから、当時の自分たちの生活を少しでも懐かしく思い出していただくことができれば、と切に願う気持ちからだとご理解いただければ幸いだ。
 ちなみに、お気づきの方もいると思うが、この「母さん、これが僕たちの山歩会生活です」という題名は、数年前、全国ネットでTV放映もされたドラマ「母さん、これが僕の浪人生活です」から、どうしても捩ってみたかった。このドラマの舞台ともなり、多くの山歩会部員の下宿ともなった旧清水方は、最近取り壊され、現在ではもう残っていない。


「かあさん、これが僕たちの山歩会生活です」 とりあえず、了
(ケイゾクの予感?!)

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