教科書

 中学や高校の教科書は今の二倍ぐらいの厚さにすればいいと私は思っている。授業時間が決っている以上、授業で使う分量は限られているが、それと同じぐらいの分量を付け加えればいいということである。どこを授業で使うかは教員に任されることになる。
 というのも、私は教科書の、授業で扱われなかった部分から、非常に多くを学んだという意識があるからである。どうせなら、あの部分がもっと多かったらよかったのにと思わないではいられない。
 私に限って言えば、私は授業で扱われた部分は仕方なく読んだのだが、そうでない部分は、自由意志で、自らの楽しみとして読んだ――主として、授業時間中に。従って、それは当然、容易に心に沁みたのである。
 例えば、高校の各学年の英語の教科書にはイギリスやアメリカの詩が載っていたが、それが授業で取り上げられることはなかった。恐らく、大学入試で詩が出題されることはないという確信によるものだっただろう。それでもそれが載っていたのは、教科書制作者が生徒にそれを読んでもらいたかったからだ。私は教科書に出ていたエドガー・アラン・ポーの「アナベル・リー」やロングフェローの「村の鍛冶屋」などの詩を読んで大いに心を動かされた。それは私の「英語を読む楽しみ」の原点でもあった。
 漢文の教科書では、授業で取り上げられなかった白居易の詩「燕詩示劉叟」(燕の詩を劉叟に示す)が特に印象に残っている。劉叟という人が、子供が大きくなって家を離れたことを嘆いているので、白居易が彼を励ますために作ったものだという。苦労して育てた雛が巣立ってしまったのを悲しんでいる燕を歌ったもので、その結びにある「燕よ、悲しむことはない。今こそかつての自分を思い見よ。お前だって雛だった時に、高く飛び上がって母に背いたではないか。あの時の父母の思いを、今こそ知るべきだ」という部分に特に打たれた。私はこの詩の全部を暗記した。
 国語の教科書が特に興味深かったのは言うまでもない。英文や漢文を読むときの苦労がそこにはなかったからだ。
 中でも特に印象に残っているのは、シェイクスピアの『リア王』の、リア王のセリフが翻訳で出ていたことである。これが、私がシェイクスピアに直接触れた最初の体験となった。
 娘たちに王国を譲ってのんびり余生を過ごそうとしたリア王は、王国を譲った後で娘たちから酷薄な扱いを受けて逆上し、嵐の野に飛び出して行って、空に向って叫ぶ。

思いの丈を轟かせろ! 火を噴け、稲妻よ! 叩きつけろ、雨よ!
雨も風も雷も稲妻も、私の娘ではない。
だから、天空の輩よ、お前たちを恩知らずと言って責めはしない。
私はお前たちに王国を与えず、我が子と呼びもしなかった。
お前たちは私に対して服従の義務を負うてはいない。だから
心ゆくまで恐ろしい快楽に耽るがいい! ここに私はいる。お前たちの奴隷として、
そして哀れな、頼りない、弱々しい、蔑まれた老人として。
しかし、それでもなお、私はお前たちを卑屈な請負人と呼ぼう。
お前たちは二人の邪悪な娘と謀って、
空で集めた軍勢を駆り立て、一斉攻撃しているではないか
こんなにも老いて白くなった私の頭めがけて! ああ、ああ、何と卑劣な!

(『リア王』三幕二場)


 これを読むと、今でも高校時代に理由もなしにこのセリフに共感を覚えたことを思い出す。理由もなしに共感を覚えるのがシェイクスピアというものだということを知ったのは、それからずっと後のことである。
 教科書の余分な箇所で、他では絶対にありえないような「出会い」を経験することは、誰にでもあり得ることだろう。そして、それは全ての科目の教科書について言えるのではないか。真面目でも優秀でもなかったかつての高校生の感想である。

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