ある時、電車の座席に座っていたら、私のすぐ前で立って吊革にぶら下がっていた若い女性が、突然私に、「あのう、席を譲って頂けないでしょうか」と言ったので、びっくりした。「ああ、どうぞ」と言ってすぐに立って、少し離れたところから振り返って見ると、彼女は背中を丸めてうなだれるような姿勢でじっとしていた。よほど疲れていたのだろう。私のようなおっさん(あるいは、じいさん)にあれを頼むのはよほど勇気がいることだっただろうと思うと、彼女を尊敬したい気分にかられた。
しかしそれとは別の体験をしたこともある。ある時、電車の長い座席の一番端、つまりドアのすぐ脇の部分に座っていたら、私のすぐ横に立ってドア脇の手すりに掴まっていた若い女性が、なんだか普通でない気配であることに気づいた。手すりにはようやく掴まっている感じで、体が少し傾いている。彼女が私のすぐ前に立っていれば私は黙って立ち上がればいいのだが、この状態で立っても別の人が座るだけになってしまう。そこで私は、彼女を見上げて、「お座りになりますか」と声をかけた。すると彼女は意外に元気な声で、「いいえ、大丈夫です」と言った。そうか、大丈夫なんだ、と私は納得する他なかった。
しかしその数十秒後に、彼女は突然、その場に倒れた。見ると、仰向けに、両手両足をまっすぐに伸ばして倒れている。私も、その場にいた他の人も、そういう状態の女性にどう対応していいか分らずに戸惑っていると、たまたま近くにいた中年の女性が近寄ってきて、彼女の上半身を抱き起こした。そして私が座っていた座席に彼女を座らせて、彼女の眼を指で開いて覗き込んだり手の脈を測ったりしている。「自分の名前が言えますか」とか「自分の電話番号が言えますか」などと質問もしている。疑いもなく、現役の、あるいはかつての看護師さんに違いなかった。私はそういう人が近くにいた幸運を喜んだ。
そして数駅先の駅で、看護師さんらしいその女性は若い女性を抱きかかえるようにして電車を降りて行った。
中年(以上)の男が若い女性に席を譲るということの内には、必然的にドラマが含まれているようだ。