天気予報

 以前の天気予報は当てにならなかった。子供でも運動会や遠足の前日は天気予報に興味があったが、それでも「明日は雨です」と言われても希望を失わなかったし、「明日は晴れです」と言われても安心しなかった。お天気はその日にならなければ分らないというのが常識的な感覚だった。お天気は所詮は神様の領分で、人間が立ち入る領域ではないということだったように思う。
 従って、天気予報は、「予報」とはいうものの、親しい人と空を見上げながら「明日の天気はどうなるんだろうね」と話すのと大差ないものだった。それだけ親近感があった。
 しかし気象衛星が打ち上げられてから状況は一変した。天気予報は相当程度の確率で当たるようになった。明日にならなくても明日の天気が分るようになった。人間が神様を押しのけたのである。だから大事な日の前日に「明日は雨です」と言われれば「ええ、そうなの!」と絶望の声を発せざるを得ないことになっている。現在の天気予報は、「予報」というよりは「宣告」といった方がピッタリくるようだ。
 だから、たまに予報が外れると、良きにつけ悪しきにつけ、「なんだ、外れたじゃないか」と抗議の声を放つことになる。
 それはいいことか悪いことか。
 しかし今でも、いわゆる「長期予報」は当てにならないように思う。恐らく、気象衛星は数か月先まで見通すことができないので、長期の予測の方法は以前とあまり変らないのだろう(間違っていたらごめんなさい)。
 私のような年配者は、そこに人間的なものを感じて、むしろ心安らぐのである。

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