一人称

 日本語には男ことば・女ことばの区別があって、男ことばの特徴の一つは一人称が多いことである。女性はどんな場合でも「私」だけで済ませることができるが、男性は「私」「ぼく」「俺」の中からどれかを選ばなければならない(これ以外にも「わし」「おいら」などもある)。選択肢が多いとかえって不便を感ずるのは他の場合と同じで、三つもあるとそのどれも当てはまらない場合が生じてくる。
 一定の年齢を越えればとりあえず「私」と言っていれば問題はない。それでも、親しい人や年下の人と雑談を交わすときは「ぼく」になり、若い頃の友人と話すときは「俺」になることが多い。しかしそれらの「状況」の境界線は曖昧で、時としてどれを使えばいいのか迷うことがある。
 たとえばハムレットが日本人であると想定した場合、彼はこの三つのうちのどれを採るのが自然か? というのは難しい問題である。これは恐らく翻訳者を悩ます問題だろう。ハムレットは正式の場では「私」と、友人と話すときは「ぼく」と、家臣と話すときは「俺」と言うのかというと、そんなに単純な問題ではない。「私」と言えば気取っているような感じになり、「ぼく」と言えば甘ったれているようで、「俺」と言えば粗野な印象を与える。
 私が(そう、こういう時は「私」になる)時々困るのは、日記をつけるときである。日記は原則として自分を表す主語は省くので問題ない。しかし他人について言及するような時、「自分」を明記しなければ文意がぼやけてしまう場合がある。そういう時にどの一人称を使えばよいのか分らない。どれを使ってもわざとらしくなってしまう。
 こういう悩みが他の言語にもあるのか、確かめてみたい気がする。少なくとも、一人称単数が一つしかない言語では、こういう問題は起こりえないだろう。どんな場合だって、それを書けばよいのだ。
 国会あたりで議論して「私」以外の一人称を禁ずる法律ができればどんなにいいだろう――もちろん、これは冗談である(俺はつい冗談を言ってしまうんだな。これがぼくの悪い癖です)。

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