結婚2

 アメリカの女性作家ケイト・ショパンの短編「一時間の物語」(1895)では、家にいる妻の元に、外出中の夫が事故死したとの報せが入る。妻はそれを聞いて部屋に閉じこもり、出て来なくなる。人々は彼女が衝撃のあまり動けなくなっているのだろうと考える。しかし、そうではなくて、彼女は「自由になった! 自由になった!」とつぶやきながら、感涙にむせっていたのである。一時間たったとき、突然、夫が帰宅する。あの報せは間違いだったのだ。出迎えた妻は(もともと心臓が弱かったせいもあって)その場で衝撃のあまり即死する。人々は彼女が歓喜のあまり死んだのだと考える。
 この妻が夫との生活のどこが不満だったのかは明かされない。ただ、結婚という束縛が苦痛だったのだ。
 同じくアメリカの女性作家ウィラ・キャザーの『わが不倶戴天の敵』(1926)では、裕福な叔父に育てられた女性が、長じて貧しい男と恋をして、叔父に彼との結婚を反対されたために彼と駆落ちする。結婚し、苦しい生活をしながらアメリカを転々とする。夫は誠意を尽くして生活を支えるが、苦しさは変わらない。妻は病んで床に伏し、結婚前の豊かな生活を懐かしんで、「どうして私は不倶戴天の敵と二人きりの生活の中で死ななければならないのだろう」と呟く。彼女は辻馬車で海岸に出て、崖の上で一夜を明かし、日の出を見ながら息絶える。
 自分を結婚へといざなった夫を「不倶戴天の敵」と見做しているのである。
 結婚という制度がここまで女性を圧迫し、苦しめていると思うと、男性は慄然としないではいられない。これらの作品がどれだけ女性一般を表現しているのかは分らない。しかしその後の社会での女性の歩みを見れば、これらを只の荒唐無稽な物語と考えることはできないだろう。

次:東日本大震災

目次へ戻る