私は大学四年の夏休みを長野県戸隠村の民宿で過ごした。
卒論の準備と、翌年春に受験することにしていた大学院入試の準備というたてまえだったが、どちらにも身が入らず、部屋の窓から外を眺めて多くの時間を過ごした。
山の天気の変わり様は激烈で、一日見ていても飽きなかった。また、夜になると空一面をぎっしりと覆う星々がそれまでの「星空」の概念をひっくり返すもので、これも見ていて飽きなかった。
別の部屋には駆落ちをしてきた男女がいたが、二人のあいだが喧嘩か何かで気まずくなり、男は一人で宿を出て行った。その後、残された女性と雑談をするようになったが、駆落ち先で男に捨てられた女は哀れで、何かと気を遣うことが多かった。
彼女は奈良の人だそうで、私も戦時中は奈良に疎開していたので(といっても記憶にはなかったが)、その点では気が合った。
「奈良の家の玄関の戸は格子になっていますが、あれは中から外は見えますが、外から中は見えないんですね。あれは奈良の人間の性格を表しているんです」
という話を聞いたが、それが駆落ちと関係があると言おうとしているのかどうか、よく分らなかった。あるいは、彼とは最後まで心が通じ合わなかったと言おうとしたものか。
奈良の人だって多種多様で、一概には言えないのではないか、という気がしたけれど。
その後、この話を人にすると、決まって、「で、それであなたとその女性との関係はどうなったの?」と聞かれるので、閉口した。
どうもならなかったよ。