平均値

 人間は個人として見ればすべて特殊な存在である。平均値的な人間などありえない。
 病院で医師の診察を受けているとき、医師がいろいろ普段の心構えなどを教えてくれるが、ああ、この人は自分を頭に置いて話しているな、と思うときがある。しかし、医師にしても、個人としては特殊例であるに過ぎない。自分を基準にしていては間違うときだってあるだろう。医師に期待されるのは、あくまでも人間を平均値として捉えた場合の一般論である。平均値であるからには、個人とのズレは避けがたく、聞く方はそのズレを感じながら聞くことになる。
 同じことが教師にも言える。教師はさもエラそうに話をするが、それは自分を価値基準として捉えているのである。人間の体は時代とともにあまり変化しないので医師の場合は特に問題にならないが、精神のあり方とか社会常識とかは時代と共に変化するものだから、長く教師を務めていると、教える側の自分は昔のままだが、教えられる側があまりに変化しているので戸惑うことがある。自分の価値基準はそれなりに大事なものだが、同時に、今の平均値がどうなっているのかは正確に掴んでいる必要がある。それが不足しているために教育に齟齬が生じるということはいくらでもあるだろう。
 文学作品を読んでいると、作者が描きたいのは、結局、個々の人物がいかに平均値とかけ離れた存在であるか、ということかと思われる。平均値に無頓着な人物もあれば、病的なまでにそれを意識している人物もある。人間は皆同じだ、と大雑把に考えられればどんなにいいだろうと思うが、それでは文学が成り立たない。
 人はとかく、自分はごく普通の人間だと考えたがる。それは普通以上でないという意味で謙遜なのだが、普通以下ではないという意味で傲慢でもある。誰しもが、平均値と関わりなく、自分がいかに特殊な存在であるかを、きちんと理解しておく必要があるのではないか。

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