緑内障

 今から二〇年以上も前、眼科医院で眼の検査を受けたとき、医師から、「左眼の視野が欠けていますね。緑内障です」と言われた。そして、視野が欠けている状況が図で示された。
 正式には「正常眼圧緑内障」とのことだった。
 それからしばらくして、その眼科医院は医師の高齢のために閉じられた。
 仕方なく、別の眼科医院に行くと、同じように、「左眼の視野が欠けています。緑内障です」と言われた。
 それから年に二回ほどの割合で検査を受けることにしたが、そして色々な事情で時々医院を変えたが、いずれの場合も「左眼の視野が欠けています。緑内障です」と言われた。
 その度にどう視野が欠けているか図で示されたが、最初のものとほとんど変化はなかった。
 「視野が欠けています」と言われると、比喩的な意味で「あなたは視野が狭いですね」とか「ものの見方に偏りがありますね」とか言われているようで、私にその自覚がないわけではないだけに、極めて気分が悪かった。
 しかし、緑内障が進むと視力を失うことになりかねないということなので、医院通いを続けた。
 その結果、私の人生でも滅多にないほどの大きな驚きに出会うことになった。
 今から数年前、我が家の最寄り駅から数駅ほど離れた駅の近くにある比較的大きな眼科医院に初めて行った。始めに、受付で、ここ二〇年以上も緑内障を患っている旨を伝えた。
 そこでは長い時間をかけて、幾つもの検査がそれぞれの検査技師によって行われた。
 そして、最後に、医師との面談という運びになった。
 医師は、視野の図を見ながら、
「いろいろ調べてみましたが、特に問題ありません」
 と言った。
 私は驚いて、
「え、緑内障ではないんですか」
 と聞いた。
「いいえ、緑内障ではありません」
「でも、もうずいぶん長い間、お医者さんから緑内障だと言われ続けてきたんですが」
「いいえ、緑内障ではありません」
「でも、視野が欠けているんじゃないんですか」
「欠けています。でも、今の学説では、これは緑内障ではないということになっているんです」
「そんな……」
「それに、緑内障とは進むものなんです。二〇年以上も同じというのは普通はありえないことです」
 医師の説明では、私の視野は外側から中心に向って欠けているが、現在の学説ではそれは緑内障ではなく、中心から外側に向って欠けているのが緑内障ということになっているとのことだった。
 どこがどう違うんだ、と思わないではいられなかった。
 私は呆然としたまま家に帰った。
 どう少なく見積もっても、最初に緑内障と診断されてから四〇回は眼の検査を受けている。あれはいったい何だったのか?
 それでは、今回、別の眼科医に診てもらったとして、やはり同じことを言われただろうか? 「現在の学説」なるものはどの程度眼科医のあいだで共通認識になっているのか?
 しかし、私はもう考えないことにした。
 私は、自分は緑内障ではないと、今でも信じている。
 視野が欠けているという事実は変わらないのだが、それがどうだというのか。
 私のものの見方も少しだけ広がったようだ。(二〇二三)

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