老舗

 ある老舗の鰻屋で蒲焼を食べていたとき(私だってそういうこともある)、その店の主人がカウンターの向こうから、別の、馴染みと思われる客に言った。
「長年鰻を焼いていますが、いくらやっても難しくて、自分で満足のゆくように焼き上がることは滅多にないんですね。でも、ごくたまにはそういうこともあります。そういうとき、これを食べるのはどういう客だろうと見てみると、大概、鰻の焼き加減なんかどうでもいいような客が食べているんですね」
 私は、それを聞きながら、それは私のことを言っているのではないかと疑った。私はただひたすら、自分が食べている蒲焼が鰻屋の主人の会心の作でないことを願った。
 しかし、この鰻屋の主人は、その立場では言ってはいけないことを言ったのではないかという気がする。彼は商売人であることを忘れて、一個の「名人」としての自意識にしがみついているのである。
 また、老舗として名高いコーヒー・ショップでコーヒーを飲んでいたとき、カウンターの向こうにいた店主が、私のすぐ近くにいた女性の客に、「ああ、ミルクを入れてからかき混ぜてはだめだ」と大声で叫んだ。コーヒーを飲む「作法」も知らない客が来たことで、老舗としての名誉を汚されたように感じたのだろう。
 しかし、どういう飲み方をするかは客の勝手ではないか。誰がそんな作法を決めたのか。
 その女性は、いかにもまずそうにコーヒーを飲んでいた。
 老舗として名高いラーメン屋で、店の前に順番待ちの長い行列のできる店がある。そういう店に入ったとき、カウンターの向こうでラーメンを作っている店主の客への対応の横柄さにあきれた。いかにも、食べさせてやる、という心理が見え見えで、あれではうまいラーメンもまずくなってしまう。「評判の店」というプライドが、彼を遥かなる高みに押し上げているのだろう。
 驕り高ぶった店には行きたくない。やはり、気安く入れる店の方が私の性分に合っているようだ。

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