最後に見る夢

 「痴人夢を語る」という言葉がある。他人に自分が夜に見た夢の話をする人は馬鹿だという意味である。
 馬鹿を承知で言えば、私は同じ夢を何度も見る。夢の中で、またこれか、などと考えながら見ている。例えば、乗った電車が間違っていたことに気づいて、途中で乗り換えるが、それも間違っていて、しかもそれを何度も繰り返して、いつまでたっても目的の駅に着けない、という夢は若い時から今日までしょっちゅう見てきた。この夢は私の人生を表わしているのではないかと疑われる。
 毎朝目を覚まして、眠っている間に見た夢を思い出す。ほとんどは楽しいとか悲しいとかいうものではなく、日常生活の断片のような、退屈そのものといったものである。夢であるからには、知っている人、知っている場所が出てくるかと思うと、必ずしもそうでなくて、知らない場所で知らない人を相手にモタモタする場合もある。目が覚めてから、一体あれは何なんだと思うのである。
 しかし、思い出すから夢を見たことが確認できるのであって、思い出さなければ夢は見なかったことになる。それも空しい。
 ところで、死ぬ間際、最後に目を閉じてから息を引き取るまでの間に、夢を見ることがあるだろうか。もしあるとしても、それは目を覚まして思い出すことのできない、空しい夢である。せめて、それが楽しい夢であることを願わずにはいられない。
 少なくとも、あの、電車乗り違えの夢でなければよいがと思う。

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