桜は咲いたと思ったらすぐに散ってしまう。お花見を都合で数日遅らせたら、もう盛りを過ぎていた、ということは、よく経験することである。桜を楽しむということは、意外に難しいことなのかもしれない。
 しかし、その「はかなさ」が桜の魅力の一つであることも事実である。いつまでも枝にしがみついていて、だんだんに色あせてゆく花が多い中で、桜の「はかなさ」が、むしろ「いさぎよさ」として人々の心に訴えるのだろう。
 桜を愛でた人は、すでに翌年の桜を楽しみにする。チャンスを逃してしまった人も、「でも、来年がある。来年こそはしっかり見よう」と心に誓う。この思いは、どうも年齢を重ねる毎に強くなるようだ。桜は生きる希望の象徴でもあるのだ。
 「桜色」という言葉があるが、桜の花びらの一枚だけを見ると、ほとんど白一色のように見える。けれど、集まったところを見ると、ちゃんと桜色になっているところが不思議である。桜が「ほんのり桜色」であるところが、桜の魅力であることは疑いない。どこまでいっても、どぎつくない。そこに日本人の美意識がある。
 花が散り始めると、すぐに青葉が顔を出して、いわゆる葉桜になるが、あれもなかなかいいものだ。葉桜の葉を陽の光が貫いて輝いているのを見ると、いよいよ今年の活動も本格化するのだと、身の引き締まる思いがする。
 昨年の桜の時期は、東日本大震災の直後にあたっていて、例年のようなお花見行事は控えられていたが、それでも、千鳥ヶ淵などでは、静かに花を愛でる人が多く見られた。苦難の時代にあって、桜に慰めや励ましを求めている様子を窺い知ることができた。
 さて、私は、あと何回、桜を見ることができるだろうか。

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