高校生の時、男子バレーボール部は、試合で全員が配置についた後で、キャプテンが「頑張っていこう!」と叫び、それに答えて他の部員が「おう、おう、おう!」と答えるのが慣わしだった。それは見ていてもかっこよかった。
女子バレーボール部は少し違った。キャプテンが「頑張っていきましょう!」と叫ぶと、それに答えて全員が「はい、はい、はい!」と叫んだ。あれで十分に意気が上がるのかしら、と心配になったものだ。
国会では議長が議員を指名するとき、「○○君」と言うのが伝統のようだ。しかし、かつて初めて女性が議長になったとき、彼女は伝統に逆らって「○○さん」と言って指名した。女性は他人をくんづけでは呼ばないものだ、という考えが彼女にあったのだろう。
女性は女性らしく、という考え方が今ではかなり排除されてきたが、女性には「女言葉」という制約があって、これが排除されるのは大変なことだろうと思われる。
どこが違うかといえば、男性には荒っぽい言い方が許されても、女性には許されない、ということになる。女性はしとやかに、という考え方が言葉に根付いていて、これを除去するのは女性も望まないかもしれない。
仕事場での男性は自分の部下に「ああ、君、これをちょっとやっておいてよ。手を抜くなよ」などと言うだろうが、女性の上役なら「ねえ、あなた、ちょっとこれをやっておいてくださらない? 手を抜かないように気をつけてくださいね」のような言い方になるに違いない。
どの国の言語にも多少は男女で表現の違いはあるだろうが、日本ほどそれが顕著である国も珍しいのではないだろうか。
もう何十年も前のこと、極めて特殊な例であるが、子供を殺された母親が犯人と対峙する場面がテレビのニュースで写されたことがある。その時の母親の「てめえなんか人間じゃねえ!」で始まった言葉が、ここにはとても再現できないほどに激しく、猛々しく、全体がまさに怒り狂ったときの男言葉になっていたことが思い出される。あの時、母親は、女言葉では自分の怒りが表現できないと感じたのだ。あの時、女らしさなどには何の価値もないと考えたのだ。男女平等を謳う以上、それは、基本的には、正しい考えだと言わざるをえない。
じゃあどうすればいいんだと問われれば私も答えに窮するが、少なくとも、女言葉の存在が女性の社会進出の妨げになるようなことがあってはならないと思う。