映画館

 映画館そのものが好き、などという人が今の若い人のなかにもいるようだ。嬉しくなってしまう。
 私は最近ではほとんど映画館に足を運ばなくなったが、私が育った昭和二〇年代から三〇年代にかけては映画の黄金時代で、映画館はまさにドリームランドだった。娯楽が少なかったせいもあって、多くの人が映画を見ることを最高の楽しみとしていた。
 当時は入場料三〇円で四本立てなんて映画館があちこちにあった。そうなると一日がかりの映画見物というわけで、もう個人的な祝祭日という感じになる。幸福な思い出である。
 私の育った家は新宿の伊勢丹デパートから歩いて二〇分ほどの所にあり、映画というとその周辺の映画館に行くことが多かった。伊勢丹を取り巻くようにして、日活、大映、東宝、松竹の封切館があり、どれも私には親しい存在だった。当時は日本映画は封切りでも二本立てで、黒澤明監督の映画を見に行くとついでに森繁久彌の社長シリーズを見ることになった。
 伊勢丹から新宿通りを少し行ったところに新宿図書館があり、そこに行って勉強したことも何度かあった。高校生のとき、「新宿図書館に行ってくる」と言って家を出たものの、途中で映画館の前を通っていて、ついそこに惹かれて、予定を変更して二本立ての封切り映画を見て、さも勉強に疲れたような顔をして家に帰ったこともある。
 私が中学二年のときにアメリカの『十戒』という映画が封切られて、西銀座の映画館まで一人で見に行った。その入場料が二五〇円で、それは当時の水準ではものすごく高くて、映画よりもそっちの方が印象に残っている。今でも銀座に行くとそのことを思い出す。京橋の映画館で『ベン・ハー』を、東銀座の映画館で『大いなる西部』を見たのも強い印象で残っている。以上の三本のアメリカ映画から、当時の私がチャールトン・ヘストンの熱烈なファンであったことは言うまでもない。
 映画の思い出は一生の思い出、と言ってもいいだろう。

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