「子を持って知る親の恩」という言葉がある。これが子を持った人にどの程度当てはまるのか、私には判断できない。子を持っても、自分の子供時代を振り返って、そこに親の恩を少しも感じない、という人だっているだろう。それは親の側の問題かもしれないし、子供の側の問題かもしれない。しかし少なくともこの言葉の伝えようとしている真意が、誰だって子供の時期に親の恩など感じるはずがない、ということであれば、それは無条件に納得できる。子供が親に対して、「産んでくれてありがとう」とか「育ててくれてありがとう」とか感じているとすれば、それはよほど特殊な状況下でのことに違いない。この子供はあまり幸福な環境下に置かれていないのではないかと疑われる。
親子の愛情とよく言うが、親子間の愛情はもともと親から子への一方通行のものである。子供は親を踏み台として、あるいは反面教師として成長する、という側面もあるだろう。子供が親を愛しているかどうかはともかくとして、親としては、粛々として親の務めを果たすだけのことである。
それで感じるのは最近の幼稚園や小学校がやたらに子供たちに「お父さん、お母さん、ありがとう」と言わせたがっていることの不自然さである。そういう手紙を親の元に持ち帰らせることが多いようだ。しかしこの手紙を書いたからといって、子供が親に感謝することはありえないだろう。そういう無意味なことはやめた方がいいと私は思う。
高校野球の選手宣誓などで、「育ててくれた両親に感謝しつつ白球を追います」などという言葉を聞くと、わざとらしさを感じないではいられない。余計なことを言わずに白球を追え、と言いたくなる。