カラスを見ると不思議の感に打たれる。
なぜカラスは黒いのか?
カラスは他の弱い鳥を容赦なく襲う。人間を襲うこともある。そしてゴミ置き場のゴミを漁ってあたり一面に散乱させたりする。鳴き声がまた太く、大きく、聞くに堪えない。要するに嫌われ者である。文学の世界でも、悪や死の象徴として扱われることが多い。
でも、どうして黒なのか? それはあまりにも似合いすぎではないか。そして、似合うとか似合わないとかは人間的な感覚であって、自然界とは関係ないはずだ。
バレエ『白鳥の湖』では、悪役として黒鳥が登場するが、あれは人間の作った物語であって、それなりに納得できるのである。
しかし、それはカラスに限らない。
例えば、オオカミが見るからに恐そうな顔をしているのはなぜか。オオカミが他の動物にとって恐い存在であることは確かだが、なぜ人間から見ても「恐い」顔でなければならないのか。
鮫だって、鰐だって、そうだ。「イリエワニ」などという獰猛な鰐もいる。なぜ彼らは恐い顔でなければならないのか。
もっと極端な例はハイエナである。ハイエナは喧嘩には強いが足は遅い。従って、自分で獲物を追いかけて仕留めることができないので、他の動物が仕留めた獲物を横取りしようとする。そして、あたかもその「特性」を示すかのように、ハイエナの外観は、その恰好や顔つきや色合いから見て、いじけたならず者を思わせる。彼らはうしろめたい存在として生きているのである。
――というのは、言うまでもなく、人間の勝手な感想であるにすぎない。しかし、この勝手な感想が、どうやら自然界でも通用しそうなところに不思議を感じるのである。
この「不思議」を解決する答えは、たった一つしかないように思われる。それは、人間もまた自然界の一員に過ぎないということである。私たちが「人間的感覚」などと言っているものはすべて自然から与えられたものなのである。
それならそれでいい。しかし、心配なのは、他の動物たちから見て、人間が醜く残忍な顔つきの生き物に見えるのではないか、ということである。そう思われる根拠は山ほどあるように思われる。