個性

 教育実習生を受け入れてくれている高校に挨拶に出向いたとき、その高校の先生としばらく話をした。そのとき、何かの話題に関連して、彼が、「世の中には中高一貫教育を謳う学校が幾つもありますが、それは、こう育てればこう育つ、という思い込みで成り立っているものだと思いますね。こう育てたって、そう育つとは限りません。教育とはそんなに甘いものではありません」と言ったことが忘れられない。
 彼の言ったことが中高一貫校の批判として的を射ているかどうか私には判断できないが、少なくとも、育てる側の思惑通りに育つとは限らない、という点では、その通りだと思う。しかしそれは、一貫校ばかりでなく、中学だけ、あるいは高校だけについても当てはまる考えだろう。
 そして、それは一つ一つの授業についても当てはまる。学生にこういうことを教えたい、こういう理解を得たいと思っても、学生の受け止め方はまちまちである。関心を持つ学生もいればまるで無関心の学生もいる。それは真面目とか不真面目とかいうこととは別の問題である。教える側があまり重要でないことを何かのついでに言ったとき、それまで無関心だった学生がそれを非常に重要なこととして受け止めることはいくらでもありうる。それは学生の個性の問題だとしか言いようがない。そして個性は、基本的に教育が立ち入ることのできない領域である。
 同じ両親の元で育てられても、子供の一人一人が全く別の個性を持った人間として育ってゆくのは、あまりにも当り前のことである。双子でさえ、決して同じようには育たないだろう。子供の個性は親の思惑とは別のところに存在するのである。
 教育とは甘いものではないということが痛感されるが、同時に、教員の一人として、心安らぐ思いもある。学生は自分の個性に応じて伸びてゆくものだと開き直ってしまえばいいのだ。

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