私が育った家では犬を飼っていた。秋田犬系統と柴犬系統との雑種と思われる中形犬で、私が一〇歳から二四歳までの一四年を生きた。
犬は飼い主に似るというが、我が家の誰に似たか、気が強くて、知らない人に擦り寄るというタイプではなかった。また(たとえその機会に恵まれても)他の犬とじゃれ合うこともなかった。一言で言えば、愛想の悪い犬だった。
散歩に連れて行くのは主として末っ子の私の役目だった。小学校の四年生から修士課程在籍中まで、朝と夕方の二回、それぞれ三〇分ほど連れ歩いた。その日の私の予定が何であっても(たとえ大学入試の受験日であっても)、朝の散歩を欠かすことはなかった。帰宅が遅い日は、暗くなってからでも、犬の散歩にだけは行った。それは犬にとっては欠かすことのできないものだったからだ。よほどの豪雨でないかぎり、天候を理由に散歩をやめることはなかった。
私が子供だったころは私がむちゃくちゃに引っ張られていたが、年が経つにつれてだんだんに同じペースになり、やがて私が引っ張るようになった。
散歩中は別にして、ずっと玄関脇の犬小屋に鎖で繋いでおいたのだが、次第に弱ってきたので、なるべく玄関の中で休めるようにしておいたところ、ある朝、玄関のたたきの上で冷たくなっていた。
一四年というのは、犬としてはまあ長生きをした方だろう。我が家としても、それなりに犬の面倒を見てやったという思いはある。
しかし、近年、犬のことを思い出すたびに、申し訳ない気分に襲われる。罪悪感と言ったらいいだろうか。
一日計一時間の散歩に行く以外の二三時間は、犬は僅か一メートルの鎖に繋がれたままだった。繋ぐ場所は天候によって変ることもあったが、一メートルの鎖は変らなかった。それが一四年続いた。これは犬の側から見れば虐待以外の何ものでもなかっただろう。
仕方なかったと言おうと思えば言える。広い敷地があったわけでなし、犬の世話をする使用人がいたわけでもなし。しかしこれは犬には通じない理屈だろう。それではなぜ犬を飼おうと思ったのかと問われれば、答えるすべもない。
今思えば、私が玄関から家に入ろうとするとき、すぐ脇の小屋の前で少しだけ尻尾を振りながらこちらを見上げているその目が、何かを訴えているようだった。
その目は今でも私を見続けているように思われる。