ある時、私は西洋美術史の教授の研究室で、教授と雑談を交わしていた。
教授が「今度これを編集したんだよ」と言って、テーブルの上の大判の本を見せてくれた。それは美術全集の一冊で、中世の絵を集めたものだった。
教授の表情には、ついにこれが完成したという満足感が溢れていた。
私は一ページ一ページを丹念にめくりながら鑑賞した。そして、あるページで、手を止めて、じっと見入った。それは多くの人々が野原で楽器を弾いて楽しんでいる情景を描いたものだった。
私は、「この絵は裏返しになっていますね」と言った。気がついたら言わずにいられないというのは、私の性格の悪さというものだろう。
教授は驚いて(そして、多少はムッとして)、「どうしてそう言えるの」と言った。
私は指で絵を指しながら答えた。
「ここと、ここと、ここでヴァイオリンを弾いている人がいます。そしてここでチェロを弾いている人がいます。だけど、みんな左手で弓を持っています。それは中世であってもありえないことです。それからここで横笛を吹いている人がいますが、楽器の構え方が左右逆になっています。それからここで縦笛を吹いている人がいますが、左右の手が上下逆になっています」
教授は本を手に取ってじっと見入った。
それは驚きと怒りが混じり合った、見るからに複雑な表情だった。
そして、長いあいだ口を開かなかった。
その後、教授が出版社に何と言ったかは知らない。
それはその出版社の責任というよりは、出版社に資料を渡した側の責任だろう。たまたま楽器が描かれているから裏返しということが指摘され得ただけのことで、そうでなければ逆になっていても誰も気づかないということはありうるだろう。また、美的観点から見れば、裏返しになっていても大した影響はないと言えるのかもしれない。
教授はそれから数年後に亡くなった。
私があの時あれを言ったのは果たして正しかったのか、今でも疑問に思っている。出版前ならなにがしかの意味があったかもしれないが、出版後では何の意味もない。
裏返しになっていたのは、むしろ私の判断力ではないか。