ここ数年、春先になると庭の木の幹に小鳥の巣箱を掛けるようにしている。シジュウカラのためである。
巣箱を掛けてしばらくすると、つがいのシジュウカラが下見にやってくる。若い夫婦が新居を求めてあちこちを見て回っている、ということか。
やがて草や細い木の枝を運んでくるようになる。巣作りである。
そして、卵を産み、雛が孵るという段階になるのだが、それは巣の中の事情であって、外からは見えない。しかし、そのうち、せわしなく餌を運ぶようになって、ああ、雛が生まれたんだと、こちらも喜び、そしてなにがしかの緊張感を味わう。
あとは雛が巣立つのを見逃すまいと、ひたすらカーテンの隙間から庭を見るだけである。
そういうある日、突然、親鳥の甲高い鳴き声が聞こえた。二羽が垣根のすぐ上の電線に止まって、ヒステリックに鳴きわめいている。
何事かと庭を見て、仰天した。
なんと、巣箱の穴から蛇の尻尾が垂れ下がっているではないか。左右に動いていることから、一目見てすぐにそれと分った。
私はすぐに庭に出て行った。しかし、どうすればいいか、分らない。
巣の中からは、雛たちが一斉に羽をばたつかせている音が聞こえた。
蛇の尻尾は私の手の届かない高さにあった。しかし、たとえ届いたにせよ、素手で蛇を掴むことは、私には考えられなかった。
幸い、近くにゴミ処理用のトングがあったので、それを持ってきた。それなら楽に蛇に届いた。
私は野球のバットを握るように両手でトングを握り、何度か試みた後に、ようやく動いている蛇の尻尾を掴んだ。
そして、引っ張った。蛇が抵抗したためか、あるいは穴の端に引っかかったためか、すぐには出てこなかったが、やがてずるずると出てきた。
蛇は空中で激しくもがいた。その動きが私の手に伝わって、私は手の力が抜けそうになるのを必死でこらえた。
蛇の腹が幾分か膨らんでいるように見えたので、すでに何羽かの雛を飲み込んだ後だったのだろう。
蛇を私の目の高さまで下ろすと、蛇は上半身を左右や上下に激しく振り、そしてさらに円を描くような動きを見せて、トングから逃れようとした。私はトングも折れよとばかりに両手に力を入れた。
さて、それからどうするか。
あまり近くに捨ててはまた戻ってきてしまうかもしれない。といって、そう遠くまでも行けない。
私の家の近くの小さな丘の上に古い神社がある。その境内の向こうが下りの急勾配になっていて、その広い斜面全体に大木が立ち並び、草が生い茂っている。私はそこに蛇を放つことにした。
トングを握りしめたまま、もがき続ける蛇を運んで、私は住宅街の中を進んだ。
途中で、もっと力を入れるために持ち手の位置を変えようとした瞬間に、蛇が下に落ちた。そして近くの住宅の垣根に向ってするすると進んだ。
私は焦った。わざわざ蛇を運んできて、それを他人の家の敷地に入れたということになれば、それは「すみません」で済むことではない。
私は蛇におおいかぶさるようにして襲いかかり、垣根に潜り込もうとしている蛇の尻尾をきわどくトングの端に捕らえた。
それから、両手から血が滲むほどに固くトングを握りしめて、神社に向った。
神社に着いて、下り斜面の木立に向って、ハンマー投げの選手のように両手を大きく回転させて、蛇を放り投げた。蛇はしばらく空中を飛んだ後に、茂みの中に落ちて行った。
私はその場にしゃがみ込んでしまいたいほどの疲労を感じた。
親鳥はそれから数時間、巣に戻らなかった。私は親鳥が巣も雛も放棄したのではないかと心配したが、やがて餌をくわえて戻ってきた。巣からは雛の鳴き騒ぐ声が聞こえた。まだ何羽かの雛は生き残っていたのだ。それを喜ぶしかなかった。
それから数日後に雛が巣立った。予想以上に多くの雛が見られたので、食べられたのは一、二羽だったのだろう。
自然界ではこういうことは普通のことだ、と考える他ない。