バッハ

 先頃亡くなった作曲家武満徹氏の追悼番組をテレビで見たときに知ったのだが、武満氏は普段からバッハの『マタイ受難曲』を愛聴していて、新たな作曲に取りかかるときはまずこの曲を聴いたそうである。彼は亡くなる前夜、病院の枕元のラジオで、たまたま放送されたこの曲の全曲演奏を聴き、翌日、夫人に、とても心が慰められた、という意味のことを言って、それからまもなく息を引き取ったという。その話をしながら、番組進行役の評論家立花隆氏は体を震わせて泣いた。
 立花氏を泣かせたものは、恐らく、立花氏自身の『マタイ受難曲』への思い入れであっただろう。「政治」と「宇宙」と「脳死」の冷徹な論客も、話が『マタイ』に及べば泣くのである。彼もまた、死の前日に『マタイ』を聴くという幸運に恵まれたいと思っているに違いない。
 バッハの作品の多くは死への憧れを表現していると言ってさしつかえないだろうが、『マタイ』では、それがほとんど肉体的な痛みの感覚を与えるほどに痛烈に表現されている。これはバッハの壮年期の作品で、晩年の作品とは言えないが、それでも聴き手はここに死に臨むバッハの姿を見るのである。武満氏の作品の根底に流れる峻厳な叙情性も、『マタイ』に通じるものがあると言えるかもしれない。
 亡くなる人は、その死を通じて、生と死についての何らかのメッセージを、生き残る人に伝えるものであろう。私たちは受け取ったメッセージを声高に語りはしない。ただ黙ってそれを心に秘蔵して、やがて来る自らの死に備えるのである。
 立花氏を経て伝えられた武満氏のメッセージには、バッハからのメッセージもこめられているように思えてならない。(一九九六)

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