飛行機の事故が後を絶たない。あんな重い物が空を飛んでいるのだから、危険が付きまとうのは仕方のない事だろうとは思う。
昨年末、飛行機が乱気流に突っ込んだため垂直下降して、乗客の一人が死ぬという事故があった。墜落したわけでもないのに死者が出たというのは極めて特異な事故だろう。
私も似たような体験をしたことがある。一昨年、私の乗った飛行機が、グラッ、グラッと揺れてから、突然何メートルか垂直に落下したのである。「キャーッ!」という悲鳴が上がったが、悲鳴を上げたのはむしろ気丈な乗客で、私などは声も出なかった。私の近くにいた女性の客室乗務員も、あわてて最前部の自分の席に戻って、そこにへたりこんで動かなくなった。
すぐに飛行機は安定状態を取り戻した。どうやらあれはエアポケットに入ったということだったようだ。
私は事故に遭わずに済んだわけだが、飛行機に乗っているからには、いつ事故に遭うかもしれないという不安はついて回る。
やはり飛行機は地上から見上げた時が一番美しい。そこで思い出すのは石川啄木の「飛行機」と題した詩である。
見よ、今日も、かの蒼空に
飛行機の高く飛べるを。
給仕づとめの少年が
たまに非番の日曜日、
肺病やみの母親とたった二人の家にいて、
ひとりせっせとリーダーの独学をする眼の疲れ……
見よ、今日も、かの蒼空に
飛行機の高く飛べるを。
空を飛ぶ飛行機が、休みの日に母の看病をしながら英語の勉強をしている少年を励ましてくれることを願ったものである。ここでは空を飛ぶ飛行機に崇高な美しさを見ている。
私は中学生のときにこの詩を見て、好きになって、暗記した。今でも空を見上げて、飛行機を眼で追いながら、啄木になったつもりで、そして少年になったつもりで、この詩を呟くことがある。
見よ、今日も、かの蒼空に飛行機の高く飛べるを。