銀の慟哭

 『男は辛いよ』の寅さんは、自分には「思い起せば恥ずかしきことの数々」があると言っている。
 寅さんはいつも自信たっぷりで、間違ったことは何もやっていないと思っているようだが、後でふりかえってみると、あれはまずかった、やらなければよかったと思われることがたくさんあるということのようだ。
 それは誰にでもあることだろう。
 必死にやればやるほど、うまくいかなかった部分、やり残した部分がいつまでも心に引っかかって、そういうものが胸の底に滓のように溜まっている、というのが生きるということだと言っていいだろう。
 しかし同時に、何かやった瞬間に、「あ、しまった。これはやるべきでなかった」と感じることもしばしばである。
 私などは特にこれが多い。
 昔よく聞いた歌の一節に「銀が泣いてる勝負師気質」(石濱恒夫作詞「大阪暮らし」)というのがあったが、同じことがある散文詩につぎのように語られている。

 亡き将棋の坂田八段は、どうにも出来ぬ一角につい打ってしまった己が不運な銀を見て言った、「ああ、銀が泣いてる!」と。(中略)私は己が人生が打ち出した不幸な銀たちの慟哭を、遠くに郊外電車の青いスパークを沈めた二月の夜の底に、一種痛烈な自虐の思いの中で聞いていたのだ。(井上靖「半生」)


 少し気取って言えば、私も銀の慟哭を背中に聞きながら生きてきた。

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