いま、「大学は時代の要請に応えなければならない」と声高に言う声がしばしば聞えてくる。しかし、時代が何を要請しているのかは必ずしも明らかでない。
人はそれぞれ「現代」という名の象の体を撫でて、たまたま自分の手が触れた部分をさしてこれが現代だと言っているのにすぎないのではないか。象の最も特徴的な部分が鼻であるように、現代の最も特徴的な部分というものもあるに違いない。たまたまそこに触れた人が最も確信に満ちた声を放つというのもうなずけないではない。しかし象の立場からすれば鼻以外のすべての部分も等しく大切なものであるように、現代にとってもすべての部分がかけがえのないものである。むしろ心臓のように簡単に手で触れられない部分が生命体を支えるうえで最も重要ということもある。
鼻ではなくて心臓を目指すという大学のあり方があってもいいのではないか。