宗教以前1

 日本では食事が始まる時に「いただきます」と言い、食事が終ったときに「ごちそうさま」と言うのが一般的である。言うだけでなく、手を合わせたり、ちょっとお辞儀をしたりもする。
 あれは誰に言っているのか?
 仮に誰かにご馳走になっているのであれば、その人に言うのだろう。しかし、一人暮らしの人が自分の住まいで食事するときもこれを言うことが多いのではあるまいか。その時、それは誰に言っているのか? まさか自分にではあるまい。
 食材を生産してくれた人への感謝の気持ちを表現しているのだ、という説を聞いたことがある。そうかしら、と私は思う。それは理屈としては分かりやすいが、現実味には乏しいように思う。
 自分に食べられようとしている動物や植物へのお礼だという説もあるようだが、それも賛成し難い。お礼を言いながら食べてしまうとすれば、むしろ残酷な気がする。食べ終ってから「ごちそうさま」と言うのかね。英語には「鰐の涙」(crocodile tears)という言葉があって、それは、鰐は捕えた獲物を食べる前にその身を憐れんで涙を流すという言い伝えから出た言葉で、「見せかけの涙」つまり「空涙」という意味で使われるのだが、その言葉が思い出される。
 私は、何の確信もなく言うのだが、これらは宗教以前の原始宗教的な感覚から出た言葉ではないだろうか。言っている人は意識しないまでも、神様的な、超自然的な存在に対して言っているのではないか。「もったいない」という言葉も、英語に訳そうとすると、「捨てるにはあまりにも貴重だ」のような表現にならざるをえないが、ここではその食べ物が貴重かどうかよりも、食べ物を捨てるという行為自体に、不遜な、バチ当たり的なものを感じているのである。日本人には外国人に見られるような熱烈な、あるいは闘争的な宗教心が欠如している代りに、特定の宗教が誕生する以前からあった自然崇拝的な宗教心があったものと思われる。それが今でも日本人の心の根底にあって、それがこれらの言葉を言わせているのではないか。
 そういう日本に生まれたことを私は幸いに思う。

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