昔は名簿とか住所録とかいうものがたくさんあった。小学校から高校までクラスの住所録があり、大学ではゼミナールの住所録を学生が自主的に作っていた。大学当局も年毎に教職員名簿を更新していた。私が住んでいる住宅街でも、その地域の全住民の住所と電話番号を記した分厚い住所録が(恐らく自治会によって作られて)各戸に届けられていた。
それが今はなくなった。住所録が業者の手に渡って悪用されるからだという。
学会や同窓会の名簿も、急速になくなりつつある。
そのため、非常に親しい人であっても、その住所を知らないということが普通になった。あの人にはぜひ年賀状を出したいと思っても、住所を知らないのでそれができない。急用ができて電話で連絡したいと思っても、その番号を知らないので、できない。
その代わり電子メールがある、と言いたいところだが、よほど親しい人でないとメール・アドレスを交換しないので、メールで連絡できる範囲は限られている。迷惑メールが氾濫しているので、メール・アドレスを広い範囲で公開することもできない。うっかり迷惑メールに引っかかると巨額の金を騙し取られかねない。
大学の同僚とはメールでやりとりすることが多いが、そのアドレスは大学を通じてのものなので、定年退職した人のアドレスは別のものになってしまう。従って、懐かしい人とちょっと連絡を取りたいと思っても、それができない。
私が望んでいるのは気軽で幅広い人間関係なのだが、そのための通信手段が困難になっている。その結果、年配者はますます孤独になってゆく。
科学の発達は人間生活をより能率的にするためのもののはずだが、それがあまりに能率的であるために、かえって人間の悪の側面を増長させているようだ。そのためコミュニケーションがより不便になっているとすれば、なんと皮肉なことだろう。