テレビの楽しみ

 私は自分のことを相当にテレビが好きなほうだと思っている。好んで見るのはニュース、スポーツ中継、自然・動物番組、国内外の紀行もの、ドキュメンタリー、音楽番組など。外国の風景をただ漫然と映しながら音楽を流しているようなのは特にいい。昔は外国の風景を見るといつか自分もあそこに行ってみたいと思ったものだが、最近は、まあ、ここで見ているからもういいや、なんて思うようになった。そこにはやはりテレビの進歩というものが大きく作用している。
 テレビが出始めたころは街頭テレビが主役だった。特に力道山のプロレスがあるときは街頭テレビの前は黒山の人だかりとなった。その頃はプロレスは真剣勝負だと誰もが信じていたので、興奮しながら見入った。試合が終わると、興奮のあまり見物人のあいだで喧嘩騒ぎが起き、今度はそれを皆で取り囲んで見物した。
 やがてテレビが普及すると、街頭テレビは姿を消した。
 我が家でも、家にテレビがあると子供が勉強しなくなるのではないかと父が恐れて、末っ子の私が大学に入るのを待ってようやくテレビを購入した。しかし一番テレビに熱中したのは父だった。
 当時のテレビは小さくて白黒だったばかりでなく、画面が歪むことが多かった。画面の下にボタンがついていて、それを片方に回すと画面が縦に伸びて、逆に回すと横に伸びる、という仕掛けになっていた。それを使って、画面が歪んでいると思えば自分で調節した。しかし、上手に調節しないと、もっと歪むことになった。だから、少し歪んでいると思っても、まあこの程度なら我慢するか、ということになった。その結果、せっかくの美人でも変顔のまま拝見するということになった。
 昔はビデオがなかったので、ドラマを含めて全ての番組が生放送だった。だからNGなどということは許されなかった。ある女性の俳優が、途中でセリフを忘れてしまって、とっさに手でテレビカメラのレンズを塞いだというのは有名な話である。従って、今で言えばなんということもないコメディーであっても、俳優たちの緊張度は高く、それが視聴者に伝わって、ドラマの魅力を支えていた。
 テレビが始まって一〇年ほどはテレビで映画を放送することはなかった。映画業界がそれを認めなかったのだろう。だからテレビで映画が見られるようになったときは、これが時代の進歩というものかと感動した。しかし、このことが映画業界の発展にどういう影響を与えたか、私は知らない。
 科学の発展は必ずしも人間に幸福を与えていないと思うのだが、最近の大きく美しい画面のテレビを見ていると、ああ、こういう時代に生まれ合せてよかったと思う。
 そのうちヒマになったら朝から晩までテレビにかじりついてやるぞ――と思うのだが、果たしてどうなるか。

次:住所録

目次へ戻る