子育て

 若い人がなかなか結婚しないようになってきた。結婚しても籍を入れない、あるいは結婚しても同居しない、という話もよく聞く。それでは結婚しても籍も入れず同居もしないという場合もあるのではないか、その場合、結婚とはいったい何なのか、という疑問を持たざるをえない。昔の視点から見ると、いかにも「家」の枠組が緩んでしまったように見える。
 しかし、社会の変化は常にそれなりの必然性があってのことだから、いいとか悪いとかいう問題ではない。特に「家」という制度は差別や偏見の産物という側面が強かったので、それがいちど解体されて別のものに生れ変るのは時代の趨勢というものだろう。ただ、過渡期には必ずそのシワ寄せを受ける存在が出現するもので、この場合、それは子供であるように思える。生れてくる子供にとっては体や精神にじゅうぶんな栄養を与えられることがまず重要であって、そこには「時代の趨勢」はあまり関係ないと言える。
 昔はなにごとによらずマニュアルがあった。男も女も、それぞれのマニュアルに従って生きてゆけばよかったし、また、そうせざるをえなかった。いまはマニュアルがなくなってしまった。そのこと自体は、めでたいこととしなければならないだろう。しかし、マニュアルがないぶん、迷いや苦しみも増えたに違いない。大事なことは子育てのマニュアルもなくなってしまったことだ。かつてあったそれは古い「家」を基礎にしていたから、その基礎がなくなってしまった今ではマニュアルとして使いものにならない。基本に確かな愛情があれば多くの場合はそれでうまくゆくだろうが、うまくゆかない場合もあるだろう。
 マニュアルなしに育てられた子供たちが、旧来の社会の枠組に身を押し込もうとしないのは当然である。同時に、彼らが親の迷いや苦しみをたっぷり受けついでいることも容易に想像できる。他人の立場で彼らを苦しみから救うことはできないにしても、彼らの苦しみを分かち合う機構がこれからの社会には必要なのではないか。

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