男の子

 いつだったか、自宅近くを歩いていたとき。
 私の前を、最近よちよち歩きを卒業したばかりという感じの男の子が歩いていて、その数メートル先をその母親が歩いていた。
 男の子が何かにつまずいて、ばたっと前に倒れた。母親がその気配に気づいて、振り返って、「ぼく、泣かないのよ」と言った。
 男の子は、もぞもぞと体を動かして起き上がりながら、私にだけ聞こえるほどの小さな声で、「ぼく、泣かない。だって、ぼく、男の子だから」と呟いた。
 私は、そのかわいらしさに、つい笑ってしまった。
 しかし同時に、男の子は泣いてはいけない、という教育をしている家がまだあるのか、という驚きもあった。
 男は泣かないものだ、という言葉の背後には、男は社会を支え、家庭を支える存在だから強くなければならない、という考えがあったものと思われる。その考えがなくなった今でも、やはり男は泣いてはいけないのか?
 古代ギリシャの英雄叙事詩を読むと、男たちが戦友の死を悼んでわあわあ泣く描写がよく出てくる。古代では男も遠慮なく泣いたものと思われる。
 私は一九世紀から二〇世紀半ば頃までの英米の女性作家が書いた小説をよく読むが、そのほとんどでは女性の方が強いと思われる設定になっている。それでも、女性が泣く描写が頻繁に出てくる。女性が涙もろいのは社会制度の問題ではなくて、生理的な問題ではないか、という気がする。
 だったら、男だって、社会制度がどうであれ、泣きたければ泣けばよいのだ。
 私は男の子に、心の中で、
「きみ、泣いたっていいんだよ」
 と語りかけた。

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