どうも最近のスポーツ選手の言うことが気に入らない。
例えば、オリンピック選手が、「自分のために頑張ってきます」とか「せいぜい楽しんできます」とか言う。これは、日本の選手があまりに悲壮感にあふれているので、そんなに緊張していたら実力が発揮できないだろうと気遣った周囲が「国のためというのではなくて自分のために頑張ってきなさい」とか「せいぜい楽しんできなさい」とか言うのを聞いて、なるほどと思ったのだろうが、それは他人が言ってくれることであって、選手が自ら言うことではない。税金から多額の強化費用を注ぎ込んで、遠征費用も出してあげて、それで「自分のために」とか言われると、それはちょっと違うんじゃないの、と(私のような)いじわる爺さんは言いたくなる。
「見ている人に感動を与えるような試合をしたいと思います」とか「見ている人に何かを感じ取っていただければと思います」などと言う。ふざけるんじゃないよ。スポーツは安手のテレビ・ドラマじゃないんだよ。
そして、最近はやりの「応援、よろしくお願いします」。
なにを甘ったれているんだ、と思わずにはいられない。
仮に大相撲の力士が「見ている人に感動を与えるような相撲を取りたいと思います。応援、よろしくお願いします」と言えば、さぞ気持ちの悪いことだろう。同じことである。
高校野球の選手宣誓を聞いても、「謙虚な気持ちを忘れず、周囲の人に感謝しながら、白球を追い続けることを誓います」などと言っている。年寄り好みの偽善を若者に強いてはいけない。もし若者の方から年寄りに擦り寄っているのなら、もっと嘆かわしい。
「自分たちのサッカーをこころがけます」とか「自分たちの野球をやればいいんだと思います」とか、やたらに言う。「自分たちの」という意味合いにそれぞれのものがあることは疑わないが、同時に、試合をきれいごとですまそうとしているように思えてならない。
闘争心は、ぎらぎらどろどろしたものだ。闘争心がないのなら、試合などするな。闘争心があるのなら、それを気の利いた言葉で飾ろうとするな。必死でぶつかっていって、負けたら、「負けました」と言えばいい。
スポーツに限らず、人生とはそうしたものではあるまいか。