「インターネットのホームページの書き込みのトラブルから小六女児が同級生を刺殺」という事件が起きた。この事件、私のような年輩の者には、どういうことなのか、さっぱりわからない。それでも私はパソコンについて多少のことは知っているつもりだが、パソコンに触ったことのない人はなおさら何が何だかわからないだろう。
この小学校の先生の「命の大切さを教えたい」という談話がテレビで紹介されていたが、そういうことなのかしら、という気がしないでもない。だいいち、それをどうやって教えるのか。
小・中学生による傷害事件がここ一〇年ぐらいのあいだにときどき起きるようになった。そのたびに私が思うことがある。何か事件が起きると、その事件の原因となった要素のなかで、社会が責任を負うべきもの、被害者のうちに原因のなにがしかが求められるべきもの、まったく加害者個人に帰せられるべきもの、というふうに分析されて、ようやく事件の全容が解明された、ということになる。そこで初めてどうすれば同種の事件の再発が防げるか、に話が及ぶ。ところが、小・中学生が加害者である場合、加害者に関する情報は一切公表されない。それは当然のことだと思う。しかしそのために「なぜこの事件が起きたのか」という分析がほとんど行われないのが常である。想像に基づいた一般論や常識論はいくらでも展開できるが、正確な情報に基づいた個別論から出発しない限り、いかなる論議も無意味である。しかしながら、情報がないためにその方面の専門家でも分析できないし、仮に情報を得て分析してもそれを公表することもできない。そのため今の子どもたちがどういう状態で生きているのかが少しも分らない、したがって再発防止の対策の立てようがない、ということの繰り返しのように思う。
私には今の子どもたちがとても悲惨な状況のなかで生きているように思える。子どもは、結局、一〇〇パーセント、環境の犠牲者なのだ。加害者の人権を保護することは当然だが、それと同時に可能な限りの情報を公開して、皆で現代の子どもたちを覆っている「闇」を解明すべきではないだろうか。加害者だって、結局、同じ闇のなかで生きているのである。