料理で使う「だし」には一番だしとか二番だしとかの区別があるようだ。鰹節などから取る最初のだしを一番だしといってお吸い物に、さらに煮て取った二番だしは味噌汁や煮物に、というふうに使い分けているようである。
ところで、私は頭にも一番あたまと二番あたまの区別があるように思う。これは頭の良し悪しのことではない。一日の時間帯によって、各個人の頭の調子に差がある、ということなのだ。一番あたまはこれに使う、二番あたまはあれに使う、ということがあってもいいのではないか――。
私にとっての一番あたまは、朝食後の二時間である。この時間に通勤電車に揺られていなければならないときは実に無念だ。もし家にいるのであれば、私にとって、この時間は真剣勝負の時間になる。原稿を書く仕事があれば、この時間をそれにあてる。原稿を書こうと思ってパソコンを開くと、緊急に返事を書かなければならないメールが幾つか入っていて、その返事を書いているうちに時間が過ぎて、書き終わったときにはぐったりくたびれている、ということが最近では少なくない。やたら深刻な電話がかかって、長話をしてしまうときもある。ああ、一番あたまを無駄にやり過してしまった、と思うときの虚しさは言葉では言い表せないほどだ。私の人生は一番あたまをいかに使うかにかかっていると言っても過言ではない。
私の知っている大学の教員で、仕事にかかる前に必ず手紙の数本を書くんだと言っている人がいるが、こういうことは私には考えられない。手紙の一本も書けば、それだけでくたびれてしまって、仕事ができなくなる。
一番あたまを主尾よくそれにふさわしい仕事に使えた日には、二番あたまで本を読んだり、面倒なメールを書いたり、家でしなければならない学校の様々な用事をしたりする。
三番あたまになると、もう疲れてしまって、緻密な仕事はできない。あとは気楽に過すということになる。
誰にとっても、ここが勝負だ、という時間が、一日のなかで必ずあるはずだ。その時間をうかうか過してはいけない。そのときにどうでもいいようなことをして、眠たくなったころ大事な仕事にとりかかっても、いい結果が得られるはずはない。
ところで、この原稿も一番あたまで書いたものだが、さて、その効果はいかに。