夜、布団に入ったら、その日にあったことを一つ一つ思い出して、反省すべきことは反省しなさい、と説教する人がいる。
冗談言っちゃいけない。そんなことをしたら眠れなくなるじゃないか。反省しても眠れる人はよっぽどおめでたい人なんだ。
ある人が、ベッド脇の小テーブルにメモ帳を置いておいて、夜中に思いついたことを書き記しておくんだと自慢気に言っているのを聞いたことがある。そんなことをしたら眠れなくなるに決っているし、それに、体験的に言えば、寝ているときに考えることは大したことではない。メモしておいても、朝になって読んでみればあほらしくなるだけのことだろう。
プロ野球のジャイアンツの原監督のお父さんは高校の野球部の監督で、原監督もこのお父さんから野球を仕込まれたのだが、彼は、息子がジャイアンツの監督になったとき、息子に、布団に入ったら野球のことは考えるな、と言ったという。寝てから考えることはマイナス思考に傾くから、どうしても悲観的なことを考えてしまう、それは決してよい結果につながらない、というのである。私はこれを新聞で読んだとき、とても感心した。立派な教訓だと思う。
私は若いころから不眠症に悩んできた。一睡もできずに夜明けを迎えるということがしょっちゅうあった。明け方に雀がいっせいに鳴き出すのを聞く虚しさをいやというほど味わってきた。それというのも、布団に入ったあとであれこれ考えるという不幸な習慣があったからである。とにかく、いやなことばかりが思い浮かんでくる。ときには、誰かと議論しているところを想像して、その架空の議論に興奮してますます眠れなくなる、などということもあった。そういうときは、自分はなんて馬鹿なんだと思わずにはいられなかった。
若いころは、しばらく眠れないでいると空腹になってきて、そのためますます眠れなくなるということがあった。そういうときはむっくりと起き上がってなにか食べたものだ。夜中に車を運転して終夜営業のラーメン屋に行ったこともある。どうしても少しだけでも眠りたいと思って、明け方近くにウィスキーを飲んで、それでも眠ることができず、まだ酒の気が抜けないまま学校に行って授業をしたこともある(これは内緒)。
最近は年をとって空腹で眠れないということはなくなったが、それでも眠れないことはしょっちゅうある。でも最近はそれをあまり苦痛に感じないようになってきた。長い間の経験から、一晩眠れなくても翌日の活動には大して支障がないということが分っているし、それに、一晩眠れなかった翌晩は深い眠りを楽しめるからである。
それにしても、眠れない夜のなんと長いことか。