日本料理

 あるとき、あるアメリカ人に、「日本料理は世界の料理のなかでも独特なものだと思う」と言ったら、「なんでも日本が独特だと思いたがるのは日本人の悪い癖だ」と言われた。そうかもしれない。でも、やはり日本料理は独特だと思うのである。中国料理や韓国料理、それからインド料理やタイ料理など、いずれも味覚の点で、そして見かけの点で、西洋料理と共通点があるように思うのだが、日本料理にはそれがまったく感じられない。味覚も視覚も日本料理はひたすらに慎ましい。
 宮内庁に長いあいだ勤めていた人と話をしたとき、その人が「日本には宮廷料理というものがないんですね。世界中にあるのに日本にはありません」と言うのを聞いて、そうなんだと感心した。イギリスのヘンリー八世の豪華な食事の話や、中国の満漢全席の話などはよく聞くが、なるほど日本の歴代の天皇が何を食べてきたのかは話題にのぼらない。どうせ大したものは食べてこなかったのだろうという気がする。江戸時代の将軍だって、贅沢な食事をしていたという話は聞かない。「目黒のさんま」という落語があるが、あれは殿様が焼いたさんまでご飯を食べるということから物語が発展してゆく。殿様は庶民よりも多少はいいものを食べていたにせよ、それは「多少」の域を出ないものだったに違いない。
 中国に「酒池肉林」という言葉がある。この「肉林」は誤解されることが多いのだが、文字通り牛だとか鹿だとか猪だとかの食肉が林立しているということで、「酒池」とあわせて、つまりものすごいごちそうという意味である。これに類する言葉が日本にはないように思う。「山海の珍味」なんて言うが、この「珍味」が泣かせるじゃありませんか。つまり、ちっとも豪勢じゃないのだな。
 昔の日本には一人用の「膳」があって、各自その上に自分の食べる分を載せていたわけだが、その「膳」の大きさ、いや、小ささを考えてみてもらいたい。あのスペースがあればそれで事足りたのだ!
 つまり、日本には「ごちそう」という概念がないのである。贅沢とか豪華というものは住居とか衣服にはあっても食べ物にはない。小原庄助さんは「朝寝、朝酒、朝湯が大好きで」それで身上を潰したわけだが、彼がごちそうを食べたという話はどこにもない。
 そして極めつけは「醤油」である。ほとんどすべての日本料理は醤油がなければ成り立たない。一つの調味料にこれだけ多くを依存しているということは、やはり「独特」の名に値するのではないだろうか?
 これらの特徴の基本にあるのは、米飯に対する強烈な好みというものだろう。ご飯が主役で、おかずと称される料理は脇役なのである(「ご飯が進む」という独特の表現もある)。だから、複雑な料理や高価な食材に憧れるということはなくて、極論すれば、うまい漬物とかうまい干物とかがあれば、それ以上に望むものは何もない、と身分の上下を問わず皆が考えていたのである。
 やっぱり、独特だと思いませんか?
 じゃ、私は日本料理が嫌いか、だって? とんでもない。だーい好き!

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